女性政策

出典: Jinkawiki

2018年1月26日 (金) 16:40 の版; 最新版を表示
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目次

戦後の女性政策

戦後では個人の基本的人権の尊重と法の下の平等を保障した憲法が制定され、女性参政権の保障、民法の改正、男女共学、労働基準法、税制度など戦後の社会を規定する法的枠組みが形成された。しかし、国民の生活はすぐには大きく変わらず、女性の人権尊重の定着などは不十分なままである。これは、婦人参政権による日本女性の解放などの改革に、反対する勢力がまだ残っており、日本の伝統にそぐわないと周りは反対した。  それまでの明治からの民法では、強大な権限を持つ戸主を中心とする家制度であった。旧民法下の家制度のもとで最も苦しめられたのは男性の戸主にあらゆる決定権を握られていた女性たちである。自分で住む場所を決めたり、結婚相手を選んだりすることも難しく、戸主の意向ひとつで女性の生き方が決められる時代であった。このような旧民法の影響がまだ残存していたため、法が制定されていても形だけという部分が大きい。

高度経済成長期の女性政策

高度経済成長期になると、日本の経済だけでなく、社会生活の全てに影響を与え、国民の暮らしも女性の暮らしも大きく変わった。女性たちの教育水準は上がり、雇用者は増え家庭内の発言権は増し、家計の管理も行うなど個人としては大きく力をつけた。しかし、男性が稼ぎ手で妻は専業主婦という性別役割分担がこの時期に広く浸透した。企業は経済成長の中で熟練労働者を抱えておく必要があったこと、相対的に人件費の低い若い労働力が多かったので、男性正社員には家族を養える水準の年功賃金と、安定雇用を保証するようになった。そのため、夫は雇用者として、長時間家庭を離れて働き、妻は家庭にあって育児、介護などのケア活動や家事を一手に引き受ける。また、高度経済成長の中で、都市部への人口移動、核家族化の進展、男性の雇用者化の中で女性の就業率は低下した。        この後、日本国内の女性政策の推進に大きな影響を与えたのは国連の動きである。当時の大きな国際的潮流は人権の尊重、中でも女性に対する暴力の撤廃への関心の高まりであった。『1952年には婦人参政権条約、1979年には国際条約として法的強制力をもった「女子差別撤廃条約」が採択された。これは、政治・教育・雇用・結婚・家庭等において婦人の権利の行使を阻む法律・習慣・態度の排除を目的とし、男女平等にとって必須の権利を列挙している。日本政府は当初批准に必要な国内制度の整備のめどが立たず、条約に署名しない予定だったが、そのことが新聞で報道されると、女性団体、女性議員の強い反対運動が盛りあがった。』(坂東 2009:59)このことが後押しとなり、日本における女性政策に関する法整備はより進むこととなった。 また、少子化は女性労働政策において懸案だった育児休業法の成立に大きな弾みを与えた。日本の女性の賃金や職場での地位の低い理由の一つは出産を機に退職する女性が多く、勤続年数が男性より短いことにある。女性の仕事と出産子育てを両立させる政策は男女共同参画の観点から緊急の課題だった。1981年に採択された「ILO第156号条約」は、女性労働者側に一方的にかかっていた家族的責任の比重を、男女労働者がともに責任を負うべきとし、労働時間の短縮・転勤の場合の配偶者や子供についての配慮・男女ともにとれる育児休暇などを認めた。  日本の産業や経済の移り変わりや、職場・家族形態は変化していく中で、それに対応する形で施策が行われてきた。女性に対する施策はこうした社会経済の構造変化と密接に結びついていると言える。今後の社会がさらに見直しを迫られる中で、政府、企業、家族そして男性と女性がどのようにその役割を果たすか、新しい社会設計が必要になっている。

女性の社会進出の実情 

幼い子どもを育てる母親の重要な役割が強調され、女性を基幹労働力として位置付けているのは、教職や看護職など一部の職種に限られていた。『国際的に整備された均等法は、大幅に差別禁止に向けて強化されたが、女子保護を撤廃するだけで男女共通の労働保護規制は盛り込まれなかった。いわば女性が男性並みに働く方向で平等を認めたわけである。』(坂東 2009:69)女性が家庭を持ち子育てをしながら男性と同様の残業や転勤の多い働き方を続けるのは不可能に近かったので、女性たちは結婚や出産までは雇用者として就業していても、出産子育ての期間は家庭に入り、多くの女性は早期退職せざるを得なかった。そしてその後夫の収入を補うため就業するが、その多くは家庭に軸足を置いたパートなどの低賃金単純労働の非正社員としての不安定就業であった。男性労働者を支える女性の家庭責任が強調され育児・家事を行いながら、安価な労働力としてしか社会から要望されなかった。男性の家庭責任の分担が進まない限り、女性の仕事と家庭の両立は難しいが、いまだに日本の職場では高度経済成長期の意識・体制が続いており、法的に規制されている労働基準が現実守られておらず、サービス残業が横行する状況がある。その中で過労死や自殺が多くなっている。女性だけではなく男性も含めたワークライフバランスが必要だと言える。

現代における課題

女性の権利を守る制度はあるのにそれを活用しづらい環境が女性を取り巻いている。人手不足による忙しさで育休を取りづらいため、育休を申請する前に辞めてしまう女性が多い。現状、一度育児のために休んだとしても、その女性の職場復帰を歓迎しない職場もあり、マタニティハラスメントの被害を受ける場合もある。また、出産後の女性が職場復帰するうえで抱えているのが待機児童の問題である。保育園不足により、保育園に預けたくても預けられない現状が続いている。やはり、育児は女性の仕事だという男性側の固定概念も問題点だと言える。夫が育休をとっても何の問題もない。夫が育児に協力してくれれば、女性も職場復帰に積極的になれるだろう。このような現状から、職場復帰に対して不安を抱く女性が多くなってしまっている。これらを解決することが女性の社会進出にとって重要なことだと言える。

女性の社会進出のために

女性が正規労働者として活躍できる環境を整えるためには、高度経済成長気に形成され、その後も維持されてきた家庭内における夫と妻の社会的役割分担を変える必要があると言える。この場合、重要なことは、変わらなければならないのは女性よりもむしろ男性であり、さらには日本の社会そのものである。まず第一に、先進国のなかでも飛びぬけて長い日本の労働者の労働時間が短くならない限り、家事や育児や介護の責任を負わされがちな女性の社会進出は進まない。そのような責任を負わされたまま、男性と同じように長時間働けといわれても、難しいし女性が前向きになれないだろう。第二に、これまで女性に無償で負わされてきた家事労働の責任を社会で分担したり、夫が分担できるようにしたりする必要がある。子育てや介護の社会化、保育所を利用しやすくしたり介護施設を利用しやすくしたりするには、社会的なコストがかかる。しかし、女性が活躍することで生み出される社会的利益により、そのようなコストは容易にカバーできるのではないかと考える。1986年に施行された「男女雇用機会均等法」は、男女に機会に均等を約束したが、実質的な平等は実現されていないように感じられる。それは、役割分担が社会に残されたままで、女性が活躍しようと思ったら、長時間の労働に加え、無償の家事労働も担わなければならないからである。「女性が輝く社会」を実現するためには、男性の働き方をどう変えるか、育児や介護を社会などの周りの環境がどう担っていくか、ということが重要であると考える。


参考文献

坂東眞理子 (2009) 『日本の女性政策 男女共同参画社会と少子化対策のゆくえ』 ミネルヴァ書房


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