ベトナム戦争45
出典: Jinkawiki
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ベトナム戦争とは
第二次世界大戦の後の冷戦の中、インドシナ半島の旧フランス植民地で起こった戦争である。親米であるベトナム共和国(南ベトナム)の独裁政権の打倒を目指して、1960年、南ベトナム解放民族戦線が結成され、それを共産主義のベトナム民主共和国が(北ベトナム)が支援した。アメリカ軍は1965年から北ベトナムに空爆を開始した。1973年にアメリカの撤退を主な内容とするパリ協定が調印。その後1975年に南ベトナム政府は無条件降伏。ベトナム人犠牲者はすべてで120万人から170万人という推計がある。また、ベトナム戦争は途中からカンボジア、ラオスに拡大したため、第二次インドシナ戦争とも呼ばれる。
原因
第二次世界大戦終了後、フランスはベトナムを再植民地化しようとするが、地元ベトナム人が抵抗。このことが直接のきっかけとなる。ベトナム人が抵抗に踏み切ったのは、共産主義者が力を貸したためである。共産主義者はベトナムの共産化、東南アジアの勢力圏化を目指す。これに対し、フランスは多くの軍隊を派遣するが、中国共産党、ソ連の支援を受けたベトナム側の抵抗により、結果手を引くこととなる。これが、第一次インドシナ戦争と呼ばれている戦争である。その後、フランスを支援していたアメリカが、ベトナムを南北に分かつという政治的介入を行う。そして北ベトナムの統一の主張をに対して、アメリカはいずれ選挙によっての統一ということで合意。しかし実行されず、北ベトナムの軍事行動が始まり、これを防ぐためアメリカは軍事顧問団という部隊を派遣。そして武力衝突が始まる。これがベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)の始まりである。ベトナム共和国(南ベトナム)側を、アメリカを中心とした資本主義国が支援し、ベトナム民主共和国(北ベトナム)側を、ソビエト連邦共和国を中心とした共産主義国が支援した。また、ベトナム戦争では宣戦布告が行われなかったため、戦争がいつ開始されたかは正確には不明。
結果
アメリカ軍もフランス軍と同様に、北ベトナムの強力な抵抗により、一進一退の戦況がつづく。その間にアメリカ国内において反戦運動が激化。ベトナム戦争は泥沼と化し、全く見通しが立たなくなる。そして1973年パリ協定が調印し、アメリカがベトナムから撤退。アメリカ撤退後も南ベトナム軍は戦闘を続けるが、アメリカの支援を失った南ベトナム軍は、北ベトナム軍の猛攻を受ける。そしてついに、1975年サイゴンの陥落により終戦。北ベトナムの勝利とされている。
まとめ
ベトナム戦争は犠牲者が非常に多く、戦死者だけで100万人近くであり、戦争中アメリカ軍の軍事作戦によって散布された枯葉剤の影響で、現在もベトナム多くの被害が続いている。植民地支配とアメリカ、ソ連の対立が生んだ悲劇の戦争であるといえよう。
参考
朝日新聞掲載「キーワード」(2016/02/06 朝日新聞 朝刊 2社会)
ベトナム戦争の原因と結果!! http://torendomax.com/blog/2195.html
枯葉剤の恐ろしさ http://www.y-asakawa.com/Message2015-3/15-message111.htm