中東戦争9

出典: Jinkawiki

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目次

中東戦争とは

 中東戦争とは、1948年第一次(別名パレスチナ戦争)、1956年第二次(別名スエズ危機)、1967年第三次(別名六日戦争)、1973年第四次(別名10月戦争)の4度イスラエルとアラブ諸国との間で起こった戦争である。背景にパレスチナ地域の領有をめぐるパレスチナ問題がある。第二次世界大戦後、パレスチナにユダヤ人の入植が増加、1947年に国連がパレスチナ分割案を採択。翌年1948年この分割決議を基に、ユダヤ人がパレスチナにイスラエルを建国した。これにアラブ諸国が反発し、4度にわたる中東戦争に突入していった。中東戦争は回を重ねるごとに複雑化していった。

第一次中東戦争(1948年~1949年)

 パレスチナ戦争とも言う。パレスチナ分割案を基に建国されたイスラエルと、反発するアラブ諸国が衝突、アラブ諸国がパレスチナに侵攻し、戦争が始まった。アラブ側の軍隊は、エジプト、サウジアラビア、イラク、トランスヨンダル、シリア、レバノンなどからなり、約15万人以上の兵力であった。それに対しイスラエル側は、約3万人の兵力であった。イスラエルは数で圧倒的に劣ったが、イギリスやアメリカの支援により、この戦争に勝利。イスラエルは分割案で提示された以上の領土を勝ち取った。

第二次中東戦争(1956年~1957年)

 スエズ戦争とも言う。1956年、エジプトにアスワンハイダムがイギリス、アメリカの協力により建設される予定であったが、エジプトが兵器を購入したことでこの計画は頓挫した。その対抗措置としてエジプトのナセル大統領がスエズ運河を国有化すると宣言した。これに、スエズ運河の大株主だったイギリスやフランスは反発し、イスラエルが開戦の引き金となり、イギリス、フランス両国はこれを支援した。イスラエル、イギリス、フランス軍が出兵。しかし国連の即時停戦決議、ソ連のエジプト支援表明、アメリカの反対などが原因で撤退。その後スエズ運河の国有化が認められた。

第三次中東戦争(1967年)

 ゴラン高原のユダヤ人入植によって、イスラエルとアラブ間で緊張が高まり、イスラエルの先制攻撃により戦争が始まった。エジプト、シリア、ヨルダン、イラクの基地が破壊され、イスラエルは6日間で勝利した。イスラエルはヨルダン川西岸地区、ガザ地区、シナイ半島、ゴラン高原を占領した。短期間で終了したため、六日戦争とも呼ばれる。

第四次中東戦争(1973年)

 ナセルの死去後、エジプト大統領となったサダトは軍備を強化、そして1973年10月、イスラエルにシリアとともに奇襲攻撃を仕掛けた。ゴラン高原やシナイ半島において戦闘が行われ、またイスラエルが勝利した。しかしこの戦争中OAPECが石油戦略を発動した。これによってイスラエルを支援する国への石油の禁輸、原油価格の引き上げなどが行われた。これが原因で先進諸国の経済が大打撃を受けて、石油危機が起こる。

参考

マナペディア 中東戦争の原因と影響 http://manapedia.jp/text/1907

世界史の窓 中東問題・パレスチナ問題 http://www.y-history.net/appendix/wh1601-143.html


 


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