尖閣諸島5
出典: Jinkawiki
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尖閣諸島とは
五つの島と三つの岩礁などからなる。 戦前は日本人の私有地で、戦後は米軍による支配であったが、1972年に沖縄返還協定が発効すると、日本に返還された。しかし、その直前の1967年、近隣の海域に石油資源が埋蔵されていることが公表され、領有権を巡って中国や台湾などとなった。その後関係各国の抗議活動が激化していくなかで、日本政府は2012年に尖閣諸島の国有化を発表。これに対して、中国や台湾では激しい反発行動が繰り広げられた。
争点
問題は領有権がどの国にあるかである。 1900年代初めから尖閣諸島は沖縄県に属していたが、海洋調査で石油・天然ガスの存在が判明すると1970年以降、中国や台湾との領有争いが発生。中国は、1970年代にこの海域での資源開発に着手した。1995年には奄美大島から尖閣諸島までの海域、沖縄トラフを含む大規模な資源調査を実地。以来、中国調査船の日本領海侵犯が続くようになった。 この地域は、日本と中国がそれぞれ主張する排他的経済水域にある。日本側は日中中間線による区分けを主張しているが、中国側は中国の大陸棚の先端が沖縄トラフまで延びていると主張しており、平行線のままだ。日本は国際司法裁判所や国連海洋法裁判所への提訴を求めているが、中国は応じていない。
日中それぞれの言い分と論点
日本は「歴史的に一貫して我が国の領土」と主張している。 これに対して中国は「中華主義」の論理のもと、古来より領土であるとしている。日本国内にも国内親中国派として、中国を支持する者がいる。 主な論点として、三つある。一つ、名称が中国名であることや、過去の記録から第一発見が、中国であるといえるため、古来より中国の領土だと中国が主張している点。しかし、日本はどの国も占有していないことを確認してから正式に編入したとしている。つまり、名称が中国名というのは中国がその土地を占有していた理由とはいえず、他にも占有していたとされる証拠がないのではというのが日本の考えだ。 二つ、第二次世界大戦後、サンフランシスコ平和条約において尖閣諸島の施政権はアメリカに渡り、その後日本に返還された。これに対し中国はサンフランシスコ平和条約に参加しておらず、条約自体無効であり、元々の権利は自国にあるとしている。しかし、条約締結当時、どの国も異議を唱えていないのも事実であり、これに関して中国は、アメリカに渡したのはあくまで施政権であり、領有権はずっと中国にあるとしている。 三つ、日本が日清戦争で尖閣諸島をかすめ取りしたという見解についてだが、これについては、尖閣諸島の編入と台湾の接収とは、それぞれ別の事件であり、日本艦隊が台湾への進出のために尖閣諸島沖に集合し台湾へ向かった経過と、尖閣諸島の編入手続きを一体にして論じるのはおかしいという考えもある。
今後について
度重なる中国の海域侵犯などの問題解決に向け、日本の実効的統治の確立、日中の対話と交渉の維持、南西諸島の安全保障体制の確立、台湾との漁業協定などが必要であるとされている。
参考文献
浦野起央(2014)「地図と年表で見る 日本の領土問題」三和書籍
木村茂光・樋口州男(2012)「史料でたどる日本史事典」東京堂出版