第一次世界大戦5
出典: Jinkawiki
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国際対立
20世紀初め、列強は植民地と勢力範囲の拡大を巡って争い、同盟を結んだ。ドイツ、オーストリア、イタリアの三国同盟を包囲するように、イギリス、フランス、ロシアが三国協商を結んで対立した。中東でも、ドイツがイギリスの帝国支配と対立した。バルカン半島でも、オスマン帝国の衰退とともに、ドイツ、オーストリアがパン=ゲルマン主義を、ロシアがバン=スラブ主義を唱えて半島に進出し、対立した。1908年、アジアで最初の憲法であるオスマン帝国憲法(ミドハト憲法)を復活させ、立憲政治を実現させた青年トルコ革命が起こり、オーストリアはセルビアと対立した。1912年、セルビア、ブルガリアなどの4カ国はバルカン同盟を結び、オスマン帝国と戦い(第一次バルカン戦争)、その後獲得した領土の分配を巡り、ブルガリアと他3カ国が戦った(第二次バルカン戦争)。 こうして、バルカン半島はいつ戦争が勃発してもおかしくない状態となった。
第一次世界大戦の勃発
第一次世界大戦は、1914年7月28日から1918年11月11日の4年3ヶ月続いた人類史上最初の世界大戦である。1914年、サライェヴォでオーストリア帝位継承者夫妻がセルビア人の青年に暗殺されたサライェヴォ事件をきっかけに、オーストリアはセルビアに宣戦布告し、ドイツもロシア、フランスに宣戦布告した。日本も日英同盟を理由に連合国側に加わるなど、他の国々もそれぞれの同盟関係にもとづいて参戦し、世界大戦に拡大した。 この戦争は短期間で終結すると思われたが、予想に反して長期化した。各国では全国民が軍需物資の生産に動員される戦時体制がとられ、植民地の住民も兵士や労働力に加えられた。こうして第一次世界大戦は機関銃・戦車・飛行機・潜水艦・毒ガスなどの近代兵器が使われる総力戦となった。
毒ガス攻撃
1915年4月22日、戦争で初めて毒ガスが使われた。毒ガス弾の種類は様々で、塩素などは激しい呼吸困難を起こさせ、ジクロロエチルサルファイドは皮膚に触れるとやけどし、吸い込むと肺炎を起こした。ガスが戦線に達すると、防御手段を持たない兵士達はパニックに陥った。初めは缶から毒ガスを放出し、風に乗って運ばれることを期待したが、風向き変わり思わぬ方向に流れ問題を引き起こした。そこで、毒ガスを砲弾につめ、敵陣に打ち込む方法をとるようになった。結果として両軍約120万人が攻撃を受け、約9万人が亡くなった。
空の戦い
戦争当初は動力飛行の歴史が10年しかたっておらず、飛行機の軍事的な利用価値を見出せない人もいた。その後、上空から敵陣を調べる偵察機や正確な砲撃を指示するのを助けるために使われた。まもなく格闘戦専用の戦闘機がつくられるようになり、敵の目標地点に爆弾を投下できる飛行機も登場した。戦争当初は脇役だった軍用機は、独自の役割をもった主役へと変わっていった。
終結
1917年のアメリカの参戦とロシア革命は対戦を大きく転換させた。アメリカはこれまで中立の立場だったが、ドイツ軍の無制限潜水艦作戦により連合国に参戦した。1981年1月、アメリカのウィルソン大統領は戦争目的や戦後構想を示した十四ヵ条を発表した。1918年には同盟国は相次いで降伏し、ドイツでも反戦の声が高まり、ドイツ革命が起こった。同年11月、ドイツ共和国臨時政府が連合国と休戦協定を結び、第一次世界大戦は終結した。
戦争の代償
第一次世界大戦では6500万人もの兵士が戦い、半数以上が負傷または死亡した。さらに一般市民の死者も660万人におよんだ。また、いくつもの町や村が地図から姿を消し、農地は荒れ果てた。経済面ではヨーロッパ経済は破滅しアメリカが経済大国として頭角を現し始めた。
参考
ビジュアル博物館第87巻 第一次世界大戦 サイモンアダムズ (2002) 同朋社 高等学校世界史A 曽田三郎他11名 (2011年) 株式会社第一学習社