サリドマイド事件
出典: Jinkawiki
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サリドマイド事件とは
サリドマイド事件とは、ドイツのグルネンタール社と大日本製薬によって開発された鎮静睡眠剤「サリドマイド」がきっかけで起こった事件である。
事件の概要
1957年、西ドイツの製薬会社がサリドマイドを「コンテルガン」という商品名で売り始め、日本では1958年に「イソミン」の名称で販売を開始し、1959年には胃腸薬「プロバンM」に配合されて市販された。医師の処方なしで容易に手に入れることができるようになったため、日本でも利用者は急激に増えていった。しかし、妊娠初期にサリドマイドを服用した母親から腕や手のアザラシ状の障害がある子供が生まれたり、耳・花・目の異常や心臓・消化器・呼吸器・泌尿生殖器などの異常を伴う子供が生まれるなどの副作用が確認されており、ヨーロッパでは腕のない子供が生まれてくるなどの社会問題になり始めていた。
1961年11月18日にハンブルグ大学のW・レンツ博士が小児科学会で「アザラシ状障害児」の原因はサリドマイドにあると発表し製薬会社に警告したものの、当初は否定・拒否された。しかし、同年11月26日にヴェルト・アム・ゾンダーク紙が「コンテルガン」を名指しで報道したことによって、製薬会社は「コンテルガン」を市場から回収、ヨーロッパのサリドマイドも次々に回収された。
12月5日、勧告が日本の製薬会社にも届き、翌日厚生省との協議が行われたが、「有用な薬品の回収は社会不安を引き起こす」として販売続行を決定した。タイム紙や朝日新聞による事件の報道、西ドイツの製薬会社からの警告など、様々な方面からバッシングや警告を受けた結果、あくまでも「報道による混乱を防ぐため」という理由から出荷停止となった。しかしすでに出荷された在庫品は、回収されることなく販売された。この事件により日本では合計936人の子供が、サリドマイド障害児として生まれることとなった。
ハンドル名:アリンコ