フォルケホイスコーレ19
出典: Jinkawiki
←前の版 | 次の版→
目次 |
フォルケホイスコーレの設立と教育方針
デンマークでは、1840年から1864年の間に15校の「農民ホイスコーレ」と呼ばれる学校が設立された。主に農民の啓蒙活動を中心とした、14歳から18歳までを対象とした学校であった。農民のための夜間学校も1841年から設立され、1769年に設立された王立デンマーク農業協会以降の、国家としての農民啓蒙促進政策の一環でもあった。設立者によってそれぞれの教育理念があり、教育内容も統一されていなかった、グルントヴィ派と反グルントヴィ派との対立もあったほか、ホイスコーレ設立運動には多くの障壁があったわけだが、その教育内容にはやはりグルントヴィの啓蒙思想の影響が見られる。
リュスリンゲ・ホイスコーレ
1851年にクリステン・コルによって設立されたリュスリンゲ・ホイスコーレは、以降のホイスコーレ運動にとって大きな意義をもつものになった。コルは、ホイスコーレの教育内容について以下のような指針を残している。
・基礎として世界史を口頭で講義。
・教会の歴史から抜粋、特にいろいろな宗派を明らかにする。
・北欧神話とデンマーク史を主に口頭で語る。
・世界の地理。人や国について書かれたものを使用。
・週に3回、夜の催し物という形でデンマーク作家の作品を読む。
・歌、特に長いバラッド。
この指針をもとに、基本的なホイスコーレの一日の流れが固定した。当時のホイスコーレの多くがこの方針に従って教育内容が決定し、カリキュラムと時間割を作成したのである。
フォルケホイスコーレの教育内容
民衆運動としてのホイスコーレ教育内容の中核となったのは、デンマーク文学とデンマーク史であった。特に、デンマーク語、デンマーク詩の朗読、デンマーク史であった。デンマーク史については、ロディング・ホイスコーレの創始者の一人であったクリスチャン・フローによって出版されたデンマーク文学や歴史についての本が基本となり、1970年代まで高校やフォルケホイスコーレで用いられた。その内容は、デンマーク史が物語として構成されたものや、国民詩歌や歌集が掲載されたものであり、まさにグルントヴィの啓蒙思想を具現化したものであった。
参考文献
児玉珠美著 (2016) 『デンマークの教育を支える「声の文化」』新評論
ハンドル名:Y