フォード・システム
出典: Jinkawiki
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フォード・システム Ford system
ヘンリー・フォード(Henry Ford,アメリカ合衆国出身,1863年7月30日-1947年4月7日)が創始したフォード・モーター社(1903年創設)において実施した経営管理方式。 フォード・システムは「(少品種)大量生産」を基本コンセプトとし、「標準化」と「移動組立ライン」という大きく二つの要因がこの生産システムを支えている。 先進国においては自動車は現在は多くの人が保有しているが、20世紀初頭はまだまだ「高嶺の花」で、ある特定の社会階層の人だけが保有するぜいたく品であった。このような状況に対してヘンリー・フォードは、何とかして一般大衆、特に農村の人も自動車に乗れるようにしたいと考えた。価格を引き下げるためには大量生産方式によるコストダウンが必要となってくる。そのため、ヘンリー・フォードは大量の製品を迅速に効率よく生産できるように、標準化と移動組立ラインという方法を編みだした。
フォード・システムでは製品・部品・工程など様々な分野で標準化が行われた。まず製品は黒のT型フォード車種のみである。1906年にN型フォード、1908年にN型の後継車種としてT型フォードを発売したが、1909年になるとT型フォードのみに車種を限定した。車種を限定することで様々な部品を作る必要性はなくなり、部品を標準化することで、一度に大量の部品が作れ、部品のコスト削減につながった。生産現場の労働者の学習によって歩留まりが高くなるほど生産効果も上昇し、さらにコストダウンが可能となる。また、工程が標準化されることによって、生産業務に精通していない非熟練工もすぐに働くことができるようになる。 もう一つの要因である移動組立ラインは大量生産方式が始まって4年後の1913年に導入された。移動組立ラインが導入される以前は、静止している自動車の周りを労働者が動いて組み立てていく方式がとられていたが、労働者が静止したままで未完成の自動車がライン上を動くことによって時間が節約されると考えた。最初の組立ライン(工程系列)の組立対象は、はずみ車のマグネット発電機であった。これは、最初の移動(生産)ラインであったが、このアイデアは、シカゴの精肉出荷業者が牛肉の精製に用いていた天井トロリーコンベヤから得られた。
「安価でかつ量産できるためにはどうすればよいか」、それを実現するために彼はまず組立作業から生産方式の改善を手がけていった。彼がすべての作業に採用した二大原則がある。その一つは、「もし避けることができるならば、一歩以上歩んではならない」もう一つは、「決して体をかがめる必要はない」というものである。そしてとくに組立作業における原則は、 ①機械ならびに作業者を工程順に配列して、組立作業間それぞれの構成部品が最短可能距離を移動すること。 ②ワーク・スライド(加工対象物を滑り送りする装置)とかその他の搬送装置を用いることによって、作業者がその作業を完成させた時、作業者がいつも同じ場所、しかもその場所は作業者の手にとって最も都合のよい場所になるようにし、さらにもし可能ならば重力を利用して加工部品を次の作業者の作業位置に運ぶべきであること。 ③スライド組立ラインを用いて、組み立てられようとしている部品が都合のよい位置にあるよう配送されることとされた。
このような大量生産を可能にさせる生産システムを構築することによって、コストを最小限に抑えて価格を低下させ、自動車の大衆化を実現させた。
フォード・システムの欠点
ただし、フォード・システムに大きな欠点があったことも事実である。第一に極度の分業と標準化は単調な作業を反復して行うことを労働者に要求する。これは労働の非人間化という問題を引き起こすことになった。その結果、労働に対するモティベーションが低下、それによる生産性の低下を招くことになった。 第二に、黒のT型フォード一車種しか生産していなかったため、消費者に飽きられることになった。生産活動の活発化により、人々の生活が裕福になると、消費者のニーズは多様化していく。すると、最初は自動車をもつことそのものに対して満足感を得ていた消費者は次第に他の人とは異なる自動車をほしがるようになってきた。T型フォードに固執し、量産効果によるコストダウンを極限まで追求していったために、消費者のニーズにこたえられなくなり、フォードの競争力は急速に低下してしまった。
今日ではフォード・システムは必ずしも実情にそぐわないものになってしまった。しかし、フォード・システムの登場は産業革命や今日の生産システムに大きな影響を与えたといえるだろう。
引用:世界大百科事典 平凡社
株式会社イニシア・コンサルティング 経営学講座 http://www.initiaconsulting.co.jp/archives/management/3_03.html
Wikipedia