福島第一原発事故3
出典: Jinkawiki
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1、福島第一原発の事故について
2、概要
2011年3月11日、午後2時46分、東北地方太平洋沖でマグニチュード9.0の巨大地震が発生した。地震発生から約1時間後の午後3時42分、東京電力福島第一原発の1号機、2号機、3号機において、「10条通報」が発令された。「10条通報」というのは、原発事故における警報の一つで、1999年の茨城県東海村で起きた臨界事故の教訓から作られた「原子力災害対策特別措置法」という法律の中の1つの通称である。それから1時間もたたないうちに「15条通報」が発令された。15条は10条の状況よりもさらに原発が深刻な状態になりつつある、という通報だ。具体的には周辺に放射線の影響を与えかねない事故に発展するリスクがある、という状況で通報される。午後7時3分には総理が「原子力緊急事態宣言」を発令した国が全責任を持って原発の事故対応を行う、という宣言である。1号機に続いて3号機、2号機と爆発が続き4号機でも爆発が起こった。「レベル7」に匹敵する量の放射線が放射され、周辺住民は避難を余儀なくされた。
3、脱原発はできるのか?
3.11の地震とそれによる津波によって引きおこされた原発事故の影響で福島県民は、健康・育児・雇用等その他もろもろの生活条件を考慮して、これまでどおり県内に住み続けることが本当に可能なのかというほどの深刻な状況に直面している。農産物や畜産物に対する放射能汚染は東北地方や関東・甲信・東海地方にまで広がっており、このことは食生活をはじめとする日本人全体の日常生活にまで影響を与えている。そして、原発は首都である東京ではなく福島に建設され、原発建設によっておこる可能性のあった事故による犠牲のほとんどは経済的に豊かでない地域である福島に押し付けられている。これは資本主義の害悪と似ていることから、原発問題の本質はかつて先進資本主義国が行った植民市支配と同じであるといえる。これはつまり「脱原発」運動はかつての革新勢力の行動パターンを繰り返しているに過ぎず、また電力の供給状況をみても、このままでは「脱原発」をすることはほとんど不可能だと考えられる。
4、参考文献
日本人は「脱原発」ができるのか:川本兼(2012)
福島第一原発事故と放射線:水野倫也、山崎淑行、藤原淳登(2011)