ケネディ暗殺
出典: Jinkawiki
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ケネディ大統領暗殺は、個人、家族、国民、さらに全人類に向けられた残虐でショッキングな出来事であった。理性的な話し合いと平和のうちに政治的な変更をもたらすことに努力してきた、若くて活気に満ちた指導者であるジョン・F・ケネディが米国の史上4番目の大統領暗殺の犠牲者となってしまったのである。
事件の概要
1963年11月22日金曜日、ケネディ大統領夫妻と一行は、テキサス州ダラス市ラブ・フィールド空港に到着した。その日は、ダラス市目抜き通りの自動車によるパレードが予定されていた。オープンカーの大統領専用車の後部座席の右側にはケネディ大統領、左側には夫人、前に護衛官が二人乗っていた。自動車のパレードは、午前11時50分過ぎに始まった。北に向かっていた大統領専用車はエルム通りへと西南方向へと曲がり、テキサス教科書倉庫ビルの横を通過した。その数秒後、銃声がとどろいた。一発の弾丸は、大統領の背骨のわずか右、首の根本に入った。そして次に、もう一発の弾丸が彼の頭の後ろに当たり、致命的な重症を与えた。この事件の容疑者として逮捕されたのは、リー・ハーベー・オズワルドという男だった。
事件の容疑者
狙撃の現場では、発射場所の関し当初から明らかに混乱があった。発射音の起こった方角について、目撃者たちの説明は食い違っていた。しかし、数分もたつと、発射場所として、テキサス教科書倉庫ビルに注意が集中した。ビルに面した反対側からパレードを眺めていた目撃者の一人が、身長約5フィート10インチ、30代初めの痩せた男が、6階隅の窓からゆっくりと狙いをさだめて、大統領の車の方角にライフルを発砲するのが見えた、と警官に述べた。ここで捜査線上に浮上してきた男がリー・ハーベー・オズワルドだった。彼は事件発生直後にビルの二階で食事しているのを同ビルの従業員に目撃されており、また巡回中の警察官にも確認されている。その後、ビルを出たオズワルドは、J・D・チピットという巡査を射殺。そして彼は映画館テキサス劇場でチピット殺害事件の容疑で逮捕された。 オズワルドは11月22日午後7時10分、警官チピット殺害の容疑で正式に告発され、23日午前1時30分、ケネディ大統領暗殺の疑いで正式に告発された。しかしオズワルドは移送されるとき、ジャック・ルービーという男に腹部を撃たれ、死亡した。
暗殺の憶測
射撃の不自然さや犯人であるとされたオズワルドの殺害、ジャック・ルービーの服役中の病死などから、ケネディ大統領の暗殺はオズワルドの単独の犯行ではなく、政府や何らかの組織の陰謀があったのではないかという様々な憶測がある。マフィア主犯説や政府の共謀説、キューバ人主犯説など、ケネディ殺害から半世紀が過ぎた今もなお、多岐にわたる憶測がされている。
参考文献 大森実(1968)『ケネディの暗殺』弘文堂
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