福島第一原発事故4
出典: Jinkawiki
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2011年3月11日金曜日午後2時46分、日本は大変大きな災害、東日本大震災に見舞われた。東北地方で震度7から6、首都圏でも5強を観測し、直後から大津波警報が発令された。この大地震と津波の影響により、福島第1原子力発電所は被害を受けた。しかし、東京電力は多くの情報を住民、国民に隠蔽し続けた。
当時のニュースと避難指示
3月11日。管直人首相は放射性物質が外部へ漏れるなどの影響はないと説明した。しかし、第1原発から半径3キロの住民に避難指示、10キロの住民に屋内退避指示を出した。3月12日。第1原発から放射能が漏れ始めたのが確認された。NHKのニュースでは、「1号機では放射能が微量に漏れ始めているが、住民の健康にはただちに影響はないと予想されることから、住民は落ち着いて避難してほしい」と伝える。夕方、避難区域を20キロに拡大した。3月13日。第1原発3号機の冷却機能が停止した。そして第1原発の敷地内で放射線量が急上昇していると伝えられた。前日の1号機の水素爆発もあり、一帯には猛烈な放射能が覆っていた。しかしそれは知らされていなかった。3月14日。3号機が水素爆発し、原子炉建屋が吹き飛ぶ。
東電と政府
隠されていたデータは3月11日から21日の間で1382件。そのうちの400件は「公表の判断基準が不明確」として東電本社広報部が隠していた。原発から北西方向にあり、後に計画的避難区域に指定され、全村避難を余儀なくされた飯館村は、当初データを隠され続け、住民は放射能にさらされながら雪かきをしていた。このように、隠すことによって被爆者は増加したのだ。「想定外の事態」「原子炉は管理下にある」「放射能は微量である」「ただちに影響が出るレベルではない」などといった言葉を東電と政府は使っていたので、住民はその言葉を信じ、危機感が希薄だった。
福島の捉え方
原発事故以降、福島の捉え方は変わってきた。では、どのくらいの割合の消費者が福島県産品を回避してきたのか。2013年の『風評被害に関する消費者意識の実態調査』では、約70%の消費者が産地を気にする、どちらかと言えば気にすると答えた。そして、約40%の消費者が放射性物質の含まれていない食品を買いたい、約20%の消費者が福島県産の食品を買うことをためらうと答えた。現在、震災への人々の考えや思いは良くも悪くも風化しつつある。この調査の数字もまた年々減ってきているが、福島県産の食品への「なんとなく」悪いイメージは未だに払拭されていない。
参考文献 広河隆一(2011)『福島 原発と人々』岩波新書 五十嵐泰正(2018)『原発事故と「食」』中公新書
wakana