湾岸戦争15
出典: Jinkawiki
湾岸戦争 1概要
1980年8月イラクのサダム=フセインがクウェート侵攻開始
2内容と課程
イラン・イラク戦争後のイラクではインフレや物資の不足が問題となり、解決のためにフセインが高値で石油を売ろうとする。しかしこれにクウェートが反対し、イラクはこれに対し武力行使をする。 その後事態を重く見た安保理が撤退勧告、経済制裁を決定し、イラクにクウェートからの撤退を命じるがイラクが撤退しなかったため、ブッシュ大統領は多国籍軍を編成しイラクを攻撃した。 イラク軍の戦死者は1万から10万ほどといわれており、多国籍軍は300人程度だったとされている。
3日本の影響
冷戦中で、敵対関係にあったソ連もアメリカを支持 日本は110億ドルの資金を提供。血を流す貢献もするべきだという声からペルシア湾に掃海艇を派遣、これが日本で初の海外派遣になった。 1992年に国連平和維持協力法(PKO法が成立)平和活動への参加の道が開かれ、カンボジア内戦やイラク戦争での自衛隊派遣を行った。
4引用
https://www.y-history.net/appendix/wh1703-048.html
http://chiba-chiba.com/wakaru-gulf-war/
山崎雅弘 「歴史で読み解くアメリカの戦争」 (2004年 学習研究社)
5ハンドルネーム
S・N