ビルゲイツ
出典: Jinkawiki
←前の版 | 次の版→
人物
ビル=ゲイツ(1955〜)はアメリカのワシントン州シアトルで裕福な家庭に生まれる。13歳からコンピューターのプログラミングに熱中し、早くも頭角を現す1975年、ハーバード大学在学中にパソコン用BASICを開発し、19歳でマイクロソフト社をおこした。その後、パソコンの普及とともに、MS-DOSやウィンドウズなどのOS、各種のソフトウェアで市場を圧倒、マイクロソフト社を急成長させた。
コンピュータとの出会い
ビルは、13歳のときに学校で初めてコンピュー
ターに触れ、たちまちその魅力にとりつかれだ。以来、学校の先輩であるポール=アレンとともに、時には授業をさぼってまで、独学で一からプログラミングを覚えていった。
そんな彼らの悩みは、夢中になればなるほど利用料金がかさむことだった。当時まだパソコンはなく、学校では外部のコンピューターを時間単位の高額な料金で借りていたのだ。そんな折、彼らの才能に目をつけた会社が、夜間や
土曜・日曜なら自由にコンピューターを使っても
いいと声をかけた。会社のねらいは、彼らに
自社のシステムの不具合をチェックさせることだったのだが、2人は願ってもないチャンスに飛びつき、プログラミングに明け暮れるうちに、みるみる腕をあげていった。こうして、一人前のプログラマーとなったビルは、わずか15歳でアレンらと会社を設立。交通量分析や企業の給与計算、学校の授楽割り当て用のプログラムを開発して成功させた。
BASICとは
コンピューターを操作するためのプログラム言語である。1964年に開発され、簡単に覚えられるため入門用に普及した。
マイクロソフト社の誕生
1974年12月、ビルはアレンから世界初のパソコン「アルテア8800」発売の知らせを聞くと、すぐさま発売元のMITS社に電話しました。「アルテア用のBASICを買いませんか?」
しかし、このときに初めてアルテアを知ったビルはBASICはおろか、肝心のアルテアさえ手元になかった。2人は雑誌の記事などを頼りに、ビルが在学するハーバード大学の大型コンピュータにアルテアの機能を再現させ、昼夜を忘れてBASICの開発に励んだ。3か月後の1975年3月、ついにBASICを完成、
早速MITS社とライセンス契約を結ぶと、アレン
とともにマイクロソフト柱を設立した。それは世界初の本格的なコンピューターソフトの誕生でした。
パソコンでも手軽にソフトを楽しめる彼らのBASICは、愛好者に熱狂的に迎えられた。また、各社から次々にパソコンが発売されるようになると、BASICをどんなパソコンでも動くよう改良して様々なメーカーに提供、彼らのもとには莫大なライセンス料が入るようになり、マ
イクロソフト社は急成長を遂げていった。
ソフト産業を支配
1980年、ビルに大きなチャンスがやってきた。「コンピュータ界の巨人」と呼ばれたIBMか
アら、パソコン用の言語とOSの開発を頼まれたのだ。当時、OSを作っていなかったマイクロソ
フト社は、他社が開発したOSの権利を買い取ってIBM用に作りかえ、MS-DOSを完成。IBM製をはじめ、このOSで動くパソコンの大ヒットでMS-DOSは急速に普及し、ついには業界標準の地位を確立しました。
さらに1995年には、より簡単にパソコンを扱えるOS「ウィンドウズ95」で、一般家庭にまでパソコン市場を拡大。この爆発的なヒットで、次第に他柱のOSを圧倒していった。こうして、世界のソフトウェア産束に揺るぎない地位を築き上げたビルは、その後、急速な発展を続ける
インターネット事業にも力を注いでいる。
参考文献
目でみる 世界人物百科 3 産業・技術人物事典 日本図書センター
TIT