イーストマン
出典: Jinkawiki
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人物
ジョージ=イーストマン(1854〜1932)はイーストマン・コダック社の創立者。アメリカのニューヨーク州に生まれる。24歳から写真撮影の簡便化に取り組み、1880年の写真乾板を皮切りに、ロールフィルムや小型カメラ「ザ・コダック」などを次々に発売。当時、プロや一部の愛好家に普及させ、世界の名だたる多国籍企業を築き上げたが、難病を苦に自ら命を絶った。慈善家としても名高い。
カメラとの出会い
イーストマンは、ニューヨーク州の裕福な家に生まれた。しかし、幼いころに父を亡くしてから生活は苦しくなり、14歳で学校をやめると、彼が一家を支えて働き始めました。やがて銀行で働いていた24歳のとき、同僚のすすめで給料1か月分をつぎこんで買いそろえた写真機材が、彼の運命を変えることとなった。
湿板写真術が一般的だった当時、写真攝影は準備から現像まで手順が複雑な上、野外ともなると重くて大きな機材一式を持ち歩かなければ
なりませんでした。イーストマンは写真に夢中
になる一方で、撮影をもっと簡単にできないも
のかと研究を始めた。
湿板写真と乾板写真とは
フィルムが開発された当時、一般に写真は感光剤をぬったガラス板に写されていた。1851年に発明された湿板写真は感光剤が乾かないうちに撮影から現像までを済ませなければならなかった。しかし、1871年にゼラチンの感光剤をぬる乾板写真が発明され、感光剤が乾いてからでも写真の撮影と現像が可能になった。
乾板を売り出す
まもなくイーストマンは、イギリスの雑誌でガラス板にゼラチンの感光剤をぬる乾板写真を知ると、銀行で働きながら夜の台所で実験を重ね、3年後にゼラチン感光剤の製法を確立。また、これで乾板を作れば商売になると考え、乾板を量産する機械も発明して特許を取った。
1880年、いよいよ大量生産体制を整えて乾板の販売を始めると面白いように売れ、翌年には銀行をやめて事業に専念するようになりました。さらに1885年、重いガラス板の代わりに、1本で、24コマ撮影できる、紙をベースにしたロールフィルムとロールホルダーを完成させた。これは、現在のネガフィルムの原型となるものであった。
一般人でも使用できるように
さらにイーストマンは、当時、一部の写真家たちに限られていた写真撮影を、多くの人に楽しんでもらおうと、操作の簡単なカメラの開発に取り組みます。そして1888年、ついに小型カメラ「ザ・コダック」を開発する。「あなたはシャツターを押すだけ、あとは当社にお任せ下さい」の宣伝文句で販売を開始した。このカメラは、100枚分のフィルム入りで誰でも撮影できる手軽なものであった。また、撮り終わったらカメラごと彼の会社に送ると、写真と一緒に再びフィルムを入れて返してくれるという画期的な仕組みで、暴発的なヒットとなった。
その後も、折りたたみ式ポケットカメラや、わずか1ドルのカメラ「ブローニー」など、様々な製品を発売すると、斬新な広告とともに世界中に広まっていった。こうしてイーストマンの発明によって、大人から子どもまで誰もが手軽に写真撮影を楽しめるようになったのである。
また、彼が世界で初めて発売したセルロイド
製の透明ロールフィルムは、エジソンの映写機発明に大きく貢献し、映画産業の発展にも大きなな足跡を残した。
参考文献
目でみる 世界人物百科 3 産業・技術人物事典 日本図書センター
TIT