パレスチナ
出典: Jinkawiki
←前の版 | 次の版→
パレスチナ(Palestine)
目次 |
概要
西アジアの地中海沿岸、東はヨルダン、西は地中海、東はレバノン、南はエジプトに接する地域をパレスチナという。古くにはレヴァントと呼ばれたが、紀元前12世紀ごろにペリシテ人が定着し、それがパレスチナの地名の由来とされる。
歴史
紀元前11世紀末にユダヤ人によってイスラエル王国が樹立され、中心都市としてのエルサレムが建設される。旧約聖書には、パレスチナは神がイスラエルの民(ユダヤ人)に与えた約束の地と記されている。しかし、紀元前1世紀にローマ帝国領となり、ユダヤ人は離散し、その後この地はイスラーム化してアラブ系住民が居住するようになった。イスラエル王国が崩壊したのちは周辺諸国の支配を受け、キリスト教が興るとその聖地に定められ、その後に興ったイスラム教もまたエルサレムを聖地と定めた。以来、エルサレムを擁するパレスチナはユダヤ教、キリスト教、イスラム教という三大宗教の聖地であり宗教的争奪の地となる。
7世紀にはウマイヤ朝イスラム帝国の支配するところとなり、11世紀にはヨーロッパからの十字軍によってエルサレム王国が建国され、12世紀には再びアラブ人の支配下に置かれ、16世紀にはいると、オスマン帝国がパレスチナの支配権を握る。
19世紀以降、ヨーロッパにおいて国民国家が相次いで形成されるにしたがって、少数民族として各地に離散していたユダヤ人たちは、いわゆるシオニズム運動にのって続々とパレスチナに入植をはじめる。第一次世界大戦後、パレスチナはイギリスの委任統治領となり、第二次世界大戦後の1948年にはユダヤ人によるイスラエル共和国建国が宣告される。
以来、イスラエル国と周辺アラブ諸国およびパレスチナ・アラブ人住民とのあいだの争いは現在に至るまでも続いている。
領土
1996年以降、ヨルダン川西岸とガザの両地区は、93年にパレスチナ解放機構(PLO)とイスラエルのあいだに結ばれた暫定自治協定によって発足したパレスチナ暫定自治政府の領土となっている。
現在はガザ地区の総面積が360km²ヨルダン川西岸地区の総面積が5,660 km2となっている。
人口
現在パレスチナ自治政府の人口は、ガザ地区の住民が約176万人、ヨルダン川西岸地区の住民が約270万人の合わせて約446万人である。
参考文献
臼杵陽『世界史の中のパレスチナ問題』2013 講談社現代新書
ポール・オリバー 森英明=訳『世界の宗教を読む事典』2007 講談社現代新書
'agus'