核兵器4
出典: Jinkawiki
←前の版 | 次の版→
目次 |
核兵器とは
核兵器とは、原子爆弾など強大な破壊力を持つ爆弾の事である。そしてその原子爆弾は、ウランやプルトニウムなどの原子核が分裂するときに巨大なエネルギーを出す(爆発する)ので、それを兵器として利用したものだと言える。たった一発で何十万人もの人を殺したり、町を破壊したりするだけでなく、目に見えない放射線を放出し、放射線障害によって多くの人が亡くなったり、病気になったりするという性質を持つものでもある。戦後から今日に至るまで、人類は核兵器から解放された時期など一日もなかったし、世界はいつも「核の問題」に引きずり回されている。
核兵器の歴史
米国は1946―58年にマーシャル諸島で計67回の核実験を繰り返した。54年3―5月にビキニ環礁で6回の水爆実験を実施。3月1日には第五福竜丸の船員23人が被曝し、半年後に1人が死亡した。「ブラボー」と名づけられた水爆の威力は広島型原爆の約1千倍。第五福竜丸の被害は、のちに「ビキニ事件」と呼ばれた。 アメリカが第2次世界大戦中、日本に投下した原子爆弾は、核兵器の威力を世界中に誇示した。その後東西冷戦体制の中で、核開発競争は激化し、アメリカに続き旧ソ連・イギリス・フランス・中国の各国が原爆実験に成功し、核兵器は世界へ拡散していった。こうした核兵器開発競争は、地球を破壊し人類を滅亡させるに余りある核兵器の製造・蓄積と、核実験による地球環境の破壊、さらに核実験場周辺に多数の被曝者を生み出した。さらに、1998年5月、インド、パキスタンが相ついで核実験を行ったことにより、世界は核兵器保有国がさらに増えていくこともあり得る危険な局面を迎えている。
核兵器による被害
広島、長崎への原爆投下。1945年8月6日午前8時15分、米軍は約35万人が暮らしていた広島市に原子爆弾を投下、街は焦土と化した。9日午前11時2分、約24万人が住んでいた長崎市にも原爆を落とした。その年末までに広島で約14万人、長崎では約7万人が亡くなった。
1957年9月29日、南ウラルの核兵器工場で起きた放射能大量放出事故。チェルノブイリ原発事故に次ぐ規模といわれる。汚染範囲は長さ約300キロ、幅約50キロに及び、住民1万人が緊急避難した。工場は初の原爆を製造した49年にも、廃液のたれ流しで住民約10万人が移住させられる放射能汚染を起こした。
スリーマイル島における原発事故。1979年3月28日、2号機で給水ポンプが動かなくなり、人為ミスなどが重なって炉心溶融に至った。放射性物質を含む汚染水が建屋内に漏れた。米原子力規制委員会(NRC)などによると、住民への明確な健康影響はなかったとされる。国際的な事故評価尺度(INES)では、最悪レベルである旧ソ連のチェルノブイリ原発、福島第一原発のレベル7に次ぐレベル5。
1986年4月にチェルノブイリで起きた史上最悪の原発事故。4号炉で試験運転中に事故を起こした。発生から10日間で福島第一原発事故の約6倍の520京ベクレルの放射性物質を放出した。2週間以内に住民11万6千人が避難。4号炉をコンクリートの壁で覆った「石棺」は兵士ら60万人が動員され、わずか半年で造った。
参考文献
・山田克哉(2004)『核兵器の仕組み』講談社現代新書
・木村朗 高橋博子(2016)『核の戦後史 : Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』創元社
H.N おーたむ