楽譜

出典: Jinkawiki

2019年1月19日 (土) 22:46 の版; 最新版を表示
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<楽譜の歴史>  楽譜は、紀元前2世紀頃より書き記されていた。当時の楽譜は現代の楽譜とはまったくと言ってよいほど異なっているが、古代ギリシャの楽譜はその体系化された音楽理論と結びついて、すでにひとつの完成された世界を創りあげていたと言える。それは音高を文字や記号などで表記する方法をとっていた。 中世ヨーロッパの楽譜では、旋律の上行、下行の動きをネウマと呼ばれる線状の記号で表記するのが一般的だった。 中世キリスト教会の典礼音楽であったグレゴリオ聖歌は、9世紀以降それぞれの地域で固有の形のネウマによって記譜されている。それは旋律の動きに重点をおいていたものだったが、10世紀から11世紀ごろにかけて、ネウマに横線を添えて音程関係を明確にする試みがおこなわれた。さらに、13世紀以降は、四角形のネウマが一般化し、ドイツを除く全ヨーロッパで使用された。 中世の世俗歌曲も、ネウマによって記譜されているものが普通であった。しかしネウマは、譜線が添えられている限り音高は明確だが、リズム表示が曖昧といった欠点があった。そのため、グレゴリオ聖歌や中世世俗歌曲がどのようなリズムで演奏されていたのかは未だ不明なままである。 13世紀以来、ヨーロッパの音楽家は優れたリズムの表記法を求めていた。そのため13世紀後半になると、全ての音の長短をひとつの音符の形状で区別して表記するようになった。これが定量譜のはじまりである。 定量法は分割法を用い、初めは3分割法が使用された。つまり、長音は短音3つに分割できることが建て前とされていた。14世紀初期には、3分割法と2分割法が両立する黒符定量法が体系化されることとなった。 この譜法は14世紀から15世紀中頃までフランスを中心に全ヨーロッパで使用された。特に14世紀末から15世紀前半には、赤ぬりの音符や各種の記号を複雑多様に使用した技巧的な譜法が用いられていたが、15世紀にはいると前述の定量譜法に同化される。楽譜の譜線の数は単旋律の曲は4本、多声曲はその音域から5本、鍵盤曲は6本が一般的だった。 15世紀中頃から黒ぬりの音符に代わって白ぬき音符を多用した楽譜が登場した。この移行は定量法のより正確かつ合理的な体系化と結びついていた。 また、この頃になると高価な羊皮紙に代わって紙が一般的になり、また、印刷技術の向上もあり、楽譜が比較的安価で入手できるようになった。 様々な楽譜の中で最も優れた表現能力を発揮したものは鍵盤譜であったと言われている。リズムと音程がしっかりしている鍵盤譜は、あらゆる音楽の記憶媒体として使用されるようになり、近代記譜法としての独占的な地位を確立した。

○参考文献 記譜法の歴史 https://www.salicuskammerchor.com/single-post/2016/1/15/第12回-記譜法の歴史%EF%BC%88その1%EF%BC%89

記譜法の歴史を見てみよう https://gakufu-ya.com/saifucolumn_05


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