外国人労働者

出典: Jinkawiki

2008年8月2日 (土) 16:10 の版; 最新版を表示
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日本の外国人移住について

1、移民の歴史と現状

 外国人労働者を生み出す要因には近隣国との経済格差などがあげられる。一方で20世紀末以降いわゆるグローバル化が進み、国際的な人の移動が活発になったことも注目する必要がある。外国人労働者が発生する要因として、伝統的な考え方では、プッシュ要因(送り出し国側の原因)とプル要因(受け入れ国側の要因)に分類した考察が行われてきた。

 プッシュ要因としては送り出し国側において、経済発展が遅れて雇用機会が不足し、労働力が過剰になることがあげられる。プル要因は受入国側が高度経済成長を迎えることで起きる労働力不足である。先進国における少子高齢化も原因にあげることが出来る。この両者が組み合わさって、労働力の移動が発生されるとされる。この場合、両国間における賃金や所得の格差が重要になってくる。


 第2次世界大戦前は労働力がむしろ過剰しており、移民の形をとって労働力を放出していた。戦後しばらくも過剰状態にあった。

 高度経済成長期には一時労働不足が懸念されたが、団塊の世代からなる若年労働者が豊富で、集団就職などによって弾力的な分配が行なわれたために、労働力問題は解決された。   

 1970年代末からの風俗関連産業に従事する女性の外国人労働者であり、初期にはフィリピン女性が多数を占めた。その後フィリピン女性のほか韓国、台湾、タイの女性も加わった。第二の形態は、難民条約への加入の引き金となったベトナム、カンボジア、ラオスからのインドネシア難民である。 1980年代には人口構造が変化し、また若者の高学歴化が見られる中で、バブル景気を迎えた。このころには社会の「成熟化」が進み、単純労働が「きつい・汚い・危険」(いわゆる3K)などとして敬遠されるようになった。このため深刻な労働者不足に見舞われた。光ビザや学生ビザ、研修ビザで来日し、不法就労の形で建設業や製造業に携った。

 

 単一民族主義が動揺するきっかけとなったのは、1970年代後半からはじまる新米外国人の到来と、1982年に発効した難民条約への加盟であった。 日本経済が1970年代はじめにおきた石油ショックに由来する経済不況から未だに回復していなかったのにかかわらず、1970年代末から1970年代前半に期せずして異なる四つの形態での外国人の新たな流入が始まった。これが新米外国人の流入の「出発期」である。  その第一の形態は、1970年代末からの風俗関連産業に従事する女性の外国人労働者であり、初期にはフィリピン女性が多数を占めた。その後フィリピン女性のほか韓国、台湾、タイの女性も加わった。第二の形態は、難民条約への加入の引き金となったベトナム、カンボジア、ラオスからのインドネシア難民である。 次に難民条約であるが、日本は1951年の難民条約および1967年に作成された同上「議定書」にはなかなか加入しようとしなかった。けれども、1979年にインドシナ国際会議が開催され、これをきっかけにして、国際世論の圧力のもとに日本政府はようやく1982年に条約に調印した。この条約が外国人と日本人との均衡待遇を義務づけていたことから、社会保障に関連する分野で外国人に対する差別がある程度軽減された。  すなわち、政府は1982年に国民年金、児童手当、および児童扶養手当てについて日本人の限定を解除した。また1986年には、職場で健康保険が適用されない外国人に対して、その移住する自治体の国民年金保険への加入を認めた。なお、職場で加入する健康保険、厚生年金、雇用保険、労災保険にはもともと国籍についての規定がない。これらの措置により、社会保障については難民ばかりじゃなくて一般外国人および在日韓国・朝鮮人も救済されることになった。

 日本の移民問題の今後を考える場合、第一に外国人労働者としての移民については、景気の動向がきわめて重大な影響を与えるだろう。現在の経済的不況のもとでも外国人労働者数はほぼ同水準を保っている。それを考慮すると、日本経済が好況に転じればさまざまな経路による外国人労働者の導入作が講じられ、大量流入が再開されるかもしれない。  しかし、長期的にみれば日本社会は異常なスピードで高齢化の道を歩んでいる。老人人口がかつてない水準にまで増大するとき、若い労働力への需要は必然的になるかも知れない。老人介護の必要性がそれを後押しするだろう。こうして、長期的には外国人労働者に依存せざるをえないという声が高まるということも考えられる。その際、その供給源をどこに求めるかという問題が生じる。日本人については、ブラジルの日系人の総人口自体が130万人程度にしかすぎず、これ以上の大幅な伸びは期待できない。  また、帰国を希望しながら中国に未だ在留している日本人はあと1000人台にすぎず、その他のアジア各地にいるアジア系日系人の総数もそれほど大量ではない。したがって、日本人国籍保留者の孫にしか合法的に受け入れない現在の政策が継続される限り、日経人の流入はそのうち限界に達するであろう。日本政府は、難民についてはよほどのことがない限り認めておらず、この方針は近いうちに変更される可能性はほとんどない。  国際結婚について考えてみれば、一部の日本人男性が配偶者をみつけることがますます困難になることを考えれば、今後一層増加していくことは間違えない。このように、経済状況が変わらない限り、移民が全体的に少しずつ増加していくという現在の状況はしばらく存続していくようにおもわれる。  


 しかし、日本では外国人労働者が多数居住する地区は、スーパーマーケットも地元日本人客が敬遠する場合も見られ、それら外国人労働者の食料・衣料品の商店や、理容室・レンタルビデオ店から旅行代理店などのサービス業者が誕生し、さながら外国人街の様子をなしているケースも発生している。また言葉が通じないことによって発生する文化摩擦も深刻で、生活習慣の違いから、住民間のいざこざが起こるケースも見られる。例としては以下のもの。


  ・独居入居者用のアパート等に、常時十数人ものの住民が住み、昼夜を問わず生活雑音がする。

  ・ごみの分別方法(燃えるごみ、ガラス、金属など)が判らず、ごみの出し方が悪い

  ・公的な医療援助を受けていないため、異常に不健康そうである

  ・文化的に異質すぎて理解できない

 これらの問題では、特に急激に外国人労働者が増えた地域では深刻で、商店では言葉が通じず個人商店が客である外国人労働者の突発的な行動に翻弄されるケースが見られ、それに嫌気がさして店を閉めるという事態も発生している。またその一方で、旧来から地元住民の間で培われていた地域コミュニティに馴染めない外国人労働者が孤立するケースも見られる。

2、構造的不平等とそれへの対応

 景気後退による就職難により、刑事事件をおこす傾向がもっとも強くあらわれているのは、非正規入国者たちである。非正規入国者たちの大部分を占める中国人の場合、密入国を仲介した蛇等に支払う礼金は30万円程度に高等している。本国にいる非正規入国者の家族が、日本への入国を確認にた後に蛇等にこの礼金を借金して支払うことも多い。もし、日本で就職できない場合は、この借金は非入国者に重くのしかかり、犯罪に手をそめざえるを得ないことになる。刑事犯罪の内容をみると、洋服や自動車の窃盗、パチンコのプリペードカードの偽装、機械装置の悪用によるパチンコ玉の窃盗などが主要なものである。単独犯罪は少なく、組織化が進んでいる。また暴力団を服務日本人との共犯も増加している。    


 また、労働者の募集・渡航に絡んで、人身売買が発生するケースも見られる。日本への就労に絡む人身売買事件は少なく、蛇等の一部や日本の暴力団が現地で人員を募集、日本への渡航費用や、手段・国内での職場や移住先を斡旋するとしながら、多くの借金を背負わせている。日本についたら旅券や外国人登録証を取り上げ、強制労働させるという事件も起きている。  

     文化的権利で考えてみると、とりうわけ外国人が移住する地域で言語に関するさまざまな問題が起こっている。文部省の調査によれば、日本語教育を必要とする公立小・中学校1991年に5463人であったが、1997年には16835人に、また学校数も1973校から5061校に激増した。定住化を反映して日本語教育を必要といしてる児童・生徒の数も著しく長期化していっている。ごく限られた自治体は、これらの外国語に堪能な教員を学校に派遣したり、あるいは他の学校から児童・生徒を集めて日本語を教えるセンター校を指定するなどの対応策をとっているが、大部分の自治体ではなんの対策もとっていない。市町村教育委員会の施策の趣旨は「日本語指導教育者の派遣」であるが、在学者のいる学校の所在する市町村でこの施策を採用している教育委員会は、1993年には19.6%、1997年には21.2%にすぎず、上昇がほとんど見られない。


   日本語能力の不足は、友達ができにくいということに直結していつのではないだろうか。外国人児童・生徒は内国人どうしで固まるか、あるいは一人ぼっちになってしまう。日本語の授業が理解できにくいこと、日本人の友達ができにくいことから、勉強が難しくなる中学校段階で低学力への落ち込みが顕著となる。その結果、高校進学への希望が強いにもかかわらず、日本語による入試試験を考えるとそれを断念せざる得なくなる。外国人児童・生徒に対する入学特別枠が存在しない現在、この子供たちは学歴が重視されることの多い日本で困難な状況に陥ってしまう可能性が高いだろう。


3,移民の文化的貢献

 新来外国人の来日とともに、「多文化共生社会」という言葉があげられることが多くなった。この言葉は私たちによいイメージを連想させがちだが、その内容が実際には何を意味するかということになれば、一般的な合意があるとはいいがたい。たんに異なる複数の文化をもつものが摩擦なく一緒に暮らす社会をめざすのであれば、あえてこのような言葉をもちえなけれ ばならない、理由は存在しない。多文化共生社会というのは、「多文化主義」という欧米諸国で採用されている言葉をヒントに造られたものだと解釈できるが、日本社会はあらゆる側面で行き詰まりが生じている。日本はとくに男性らしさの程度で第1位であり、不確実性の回避も相当高い方に属する。そうなると、女性らしさが強くまた不確実性の回避の傾向が弱い異文化との接触・交流は、日本文化のこのような欠点を是正してくれるきっかけとなるだろう。逆に日本に存在するあるエスニック集団がたとえばきわめて高い権力格差を持っている場合、日本文化の影響をうけてそれが弱まるとすれば、その文化の普遍性はそれだけ増大するだろう。

 参考文献:「日本の外国人移民」 駒井 洋    


  人間科学大事典

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