パレスチナ問題11
出典: Jinkawiki
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<歴史>
パレスチナ問題はアラブ人が住んでいるパレスチナにユダヤ人がイスラエルを建国したことにより両者で起こった争い。かつてはユダヤ人の王国があったがローマ帝国によって滅ぼされ、ユダヤ人の神殿も破壊された。その結果、ユダヤ人は世界中に散らばり、ここから長きにわたるユダヤ人迫害の歴史が始まった。19世紀になると自分たちの国があったエルサレムに戻ろうというシオニズム運動が起こる。しかしそこにはアラブ人が住むパレスチナがあり、そこで両者で問題が起きている。
<原因>
パレスチナ問題の前段にはイギリスの三枚舌というのがある。第一次世界大戦の時、イギリスとフランスは当時中東を支配していたオスマン帝国の弱体化を図るため、アラブ人にオスマン帝国の戦いで味方してくれたらアラブ人国家の建設を認めることを約束する。これをフサイン・マクマホン協定という。一方でユダヤ人に対してはナショナルホームの設立を認めることを約束するバルフォア宣言を出す。さらにイギリス、フランス、ロシアでオスマン帝国崩壊後支配地域を決めるサイクス・ピコ協定が結ばれた。これによりユダヤ人は自分たちの国を作ることをイギリスは承認してくれたと考え、アラブ人が住んでいたパレスチナにユダヤ人が続々移り住むようになり、争いが始まった。
<現在>
四度にわたる戦争の結果、ユダヤ人は自分たちの国イスラエルを建国し、パレスチナ人はガザ地区とヨルダン川西岸地区に追いやられてしまった。エルサレムは国際管理地区になっている。 またイスラエルはパレスチナ人によるテロを防ぐため、ガザ地区とヨルダン川西岸地区にそれぞれイスラエル支配地域から切り離す形で巨大な壁が作られた。この壁はいくつかの検問所を除いて一切のパレスチナ人の出入りを認めないものだ。さらにヨルダン川西岸地区にはユダヤ人入植地が点在しており、この入植地とパレスチナ人地区とを分ける働きもしている。
<参考文献>
著池上彰 (2017)高校生からわかるイスラム世界 集英社文庫