アイザック=ニュートン

出典: Jinkawiki

2020年1月30日 (木) 14:56 の版; 最新版を表示
←前の版 | 次の版→

アイザック=ニュートン(1642年〜1727年)

●研究熱心なニュートンの少年期  ニュートンはイギリスの農家に生まれた。そのときすでに父は亡く、母も3歳のときに再婚して家を出ていたので、祖母の手で育てられていた。気が弱く、泣き虫でしたが、工作と読書が好きで、自分で水時計や日時計を考えて作り、村中の評判になったこともあった。勉強が大好きでしたが、14歳のとき、再婚相手を亡くした母が3人の子どもと家にもどると、生活のために学校をやめて畑仕事を手伝うようになる。しかし、頭は勉強のことでいっぱいで、仕事をしながら考え事ばかりしていた。  それから2年ほとど過ぎたころ、激しい台風が村を襲うと、ニュートンは嵐の中で実験を始めたのである。風の向きにそって丘の斜面を飛び、次に風に逆らって飛んで、その距離の差から風力を計った。母や祖母は、一時も研究を忘れられないニュートンを学校にもどすことにした。こうして中学校にもどったニュートンは、一番の成績で卒業し、ケンプリッジ大学に進んで数学と物理学を学び、卒業後も研究生として研究を続けた。

●リンゴの落下で万有引力を発見  ペストの流行で大学が閉鎖された1664年から3年間、ニュートンは故郷に帰って「ニュートンの三大発見」と呼ばれる重要な発見をした。その人つが万有引力の発見である。この頃ニュートンは、地球の周りを回転している月が遠くへ飛んでいかない理由について考えた。そんなある日、庭のリンゴの実が地面に落ちるのを見て、ここが地球の裏側なら、リンゴは下から上に動いたことになると考えた。それならば、リンゴは落ちたのではなく、地球に引っ張られたことになる。地球にものを引っ張る力があるのなら、地球のまわりを回転している月が遠くへ飛んでいかない理由にもなる。この思いつきから、のちに、すべてのものとものの間には「万有引力」という引っ張り合う力が働いていることを発見したのであるる。  三大発見の残りの2つは、微積分法という数学の方法と、光の性質に関する発見である。特に光の研究によって反射望遠鏡を発明し、三大発見とともに近代科学の発展を助けた。

●「プリンキピア」で大科学者へ  ニュートンは数々の発見をしましたが、自分の理論が議論を呼び、論争に時間を割かれることを嫌って発表を避けていた。ところが1684年、惑星の動きの計算法をたずねてきた天文学者ハレーに論文を送ると、ハレーから論文の公表を強く勧められたのである。こうして研究をまとめた『プリンキピア』が出版された。彗星の発見で知られるハレーは、のちに、ニュートンの論文を発見したことが自分の最も名誉な発見だと語ったといわれているほどである。この出版でニュートンの名は世界に知れ渡り、62歳のときに女王からナイトの称号を受け、84年の生涯を終えたときには王族なみの葬儀で送られた。

●ニュートンのリンゴの木  万有引力発見のきっかけとなったと言われているリンゴの木は1814年に枯れてしまったりしかし、枯れる前に接ぎ木で増やされた木が、生家の庭に植えられ、今では大木となって育っている。この木は日本にも分けられ、東京にある小石川植物園に植えられている。


参考文献 目でみる 世界人物百科 2 芸術・文学人物事典 日本図書センター

TIT0804


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成