アルキメデス
出典: Jinkawiki
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アルキメデス(紀元前287年〜前212年)
●自由な学者アルキメデス
アルキメデスは、シチリア島のシラクサに生まれた。父が天文学者だったことから、学問の道に進み、青年時代は学問の中心地アレクサンドリアで幾何学を学ぶ。しかし、この前の学者たちは、純枠な学問だけを愛し、学間を仕事のために応用することを嫌ってたのである。労働とは奴隷が行う卑しい行為だと考えていたからだ。のちに、数々の発明を行うアルキメデスには、こうした固苦しい雰囲気が合わなかったのか、学問を終えるとアレクサンドリアを離れ、故郷のシラクサで自由な研究を始めました。
●「アルキメデスの原理」を発見
アルキメデスの発見や発明の多くには、シラクサのヒエロン王が関わっている。王とアルキメデスは親戚でもあり、王がアルキメデスに様々な相談を持ちかけていたからである。 ある日、王が職人に作らせた金の王冠に銀混ざっているという噂が流れた。その真偽の確認を頼まれたアルキメデスは、たまたま風呂に入ったとき、湯があふれ、体が軽くなるのを感じ、水の中では、押しのけた水の重さと同じだけ物が軽くなることに気づいた。アルキメデスの原理」と呼ばれる、この浮力の法則を発見したアルキメデスは、「エウレカ!(解けた!)」と叫ぶと風色を飛び出し、裸のまま王宮まで駆けていったといわれている。 王宮ではさっそく、王冠と同じ重さの金塊が用事された。もしも王冠に金よりも軽い銀が混ざっていた場合、王冠の体積は金塊よりも大きくなり、水の中ではその分軽くなるはずなのだ。案の定、水中の王冠は金塊よりも軽く、不正は見事に暴かれた。
●新兵器の開発と天才数学者の最後
ヒエロン王が亡くなると、その孫が新王となり、ローマとの争いを始めた。強力なローマ軍の攻撃に、新王はアルキメデスに助力を求め、強力な新兵器を開発して対抗した。攻めあぐねたローマ軍は、3年間もシラクサを包囲し続けた。しかし、紀元前212年、ついに町へ侵入した。 ローマの将軍はら自分たちを苦しめた大数学者であるアルキメデスの才能を認め、殺さずに保護するように命令を下していた。しかし、それを知らない一兵士が斬り殺してしまったのである。この時もアルキメデスは、床に巻いた砂の上に図形を描き、殺される直前まで、数学の問題に夢中になっていたと言われている。こうして、ギリシアを代表とする天才数学者は、敵からも味方からも惜しまれつつ、75年の生涯を閉じた。
●アルキメデスの新兵器
アルキメデスは、ローマ軍と戦うシラクサのために、数々の画期的で強力な兵器を発明した。てこの原理を利用して石を投げる投石機や、港から敵軍の船を吊り上げる巨大な鉄鍵、凹面鏡で太陽光を集めて敵の船を焼く装置などの兵器は、ローマ軍を苦しめた。敵の武将マルケルスは、大きな船を軽々弄ぶアルキメデスを、「幾何学の巨人」と讃えたという。
参考文献 目でみる 世界人物百科 2 芸術・文学人物事典 日本図書センター
TIT0804