大逆事件
出典: Jinkawiki
大逆事件
明治天皇暗殺を計画したという容疑で多数の社会主義者が逮捕・処刑された事件。 戦前の4つの大逆事件(他に虎ノ門事件、朴列事件、桜田門事件)のうち最初のもので、大半の被告は天皇の暗殺計画とは無関係で、近代日本の裁判史上最大の「暗黒裁判」である。
大逆事件は1910年(明治四十三年)、天皇暗殺を計画して爆弾を製造した社会主義運動家の逮捕をきっかけにし、その後検挙者は全国各地で数百名にものぼった。うち26名が大逆罪にあたるとして起訴された。 判決は、1908年の赤旗事件で社会主義者が弾圧されたのち、その報復のため幸徳秋水は大石誠之助、森近運平、松尾夘一太と「緒方衙を焼毀し、当路の顕官を殺し、」
その後、1911年1月18日大審院で、幸徳秋水ら24名が大逆罪により死刑、2名が爆発物取締罰則違反の有期懲役の判決が宣告された。
1月24日午後8時に幸徳秋水が処刑されたのを始まりに、30から40分おきに11名が東京監獄刑場において死刑の執行がなされた。
事件の反響は大きく、石川啄木、徳富蘆花、森鴎外、永井荷風らが当時の作品や日記などで政府に対する批判姿勢を表している。国内だけでなく全世界に衝撃を与え、アメリカ、イギリス、フランスなどで抗議運動が行われ、社会主義者より日本政府に対し抗議・質問が浴びせられた。
判決は当時国内の一部に報道されたにすぎず、内容の検討・批判は許されず、事件の真相究明が本格的に始まったのは戦後になってからである。 戦後事件の真相究明が進み、元老山形有朋をはじめとする明治政府の裁判への関与や、拷問による聴取書と事件のでっちあげ過程など、事件と裁判の実態が明らかにされた。宮下 ・新村忠雄・古河力作・管野スガの4人が企てた、天皇暗殺計画とは無関係であり、単に彼らと顔見知りだであるということだけで事件と関連付けられた。幸徳秋水の場合は、「事件に関係のないわけではない」という官憲の推量で検挙され、証拠は薄弱であった。