「南無妙法蓮華経」
出典: Jinkawiki
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日蓮宗の題目。法華経を信仰し、加護を求める心持ちを表して唱える語。
1253(建長5)年4月28日早朝、日蓮が清澄山の山頂旭ヶ森において、立教の宣言をした(「立教開宗」)際に初めて唱えられたとされる(参考文献:Ⅰ・Ⅲ)。
それぞれの語には次のような意味がある。
「南無」(Ⅲ)
梵語(サンスクリット語)の“namas”の漢訳であり、「帰依(真心をこめて信を捧げる)」の意を表す。
「妙法蓮華経」(Ⅰ)
法華経の正式名称であり、梵語の「サッダルマ・ブンダリーカ・スートラ」の漢訳名である。妙法蓮華経の五文字の中で実体を成すものは「法」の一字で、その他の「妙」「蓮華」はともに法の形容詞、あるいは修飾語である。
「法」とは①真理(自然法則)②規範③教法④存在するものの4つの意味を包括しているとされる。しかし、この「法」が言葉では言い表せないほどに深く、大きく、また微妙なものであることから、その語頭には「妙」の字が冠せられる。
また「蓮華」とは植物の名前であるが、なぜこの植物が取り上げられたかといえば、それはこの植物の在り方が人間界における法華思想、さらには宇宙の真理にさえ言及しているのだと考えられているからである。インドにおいては、蓮華ほど美しいものはないという。泥水を厭わずにその中に咲き、それでいて泥水に染められず清く在る姿に、人は人間の世界に対する法華思想を見たのであろう。「泥中之蓮」という四字熟語もある。どんなに悪い環境にあっても清純に生きるというその意味が、この花に対する人々の意識を最もよく表していると思われる。さらに蓮華は、花と果実とが同時にあるものだと考えられていた。そのため「因果不二」「事理一体」といって、目前の小さなことに宇宙の真理が現れ、また宇宙の真理のような大きなものも、目前の現象を見逃すようでは辿り着けないという思想をも、この植物は表すと考えられたようである。
最後の一文字は「経」。これは「紐」という意味をもつが、では、なぜこの文字がここに入れられたのか。それは、インドでは美しい花を紐で貫いて賞賛したということに由来する。美しい花を貫く紐という情景が、仏の教えを一つにまとめたもの(=紐。「経」)という意味を成すものへと変化していく。人々の日常から生まれた言葉が、そのまま仏教に関連するものへと使用されていくことは、仏教の本来あるべき姿さえをも表しているように思える。
「南無妙法蓮華経」の文字の表す意味は以上の通りである。「南無妙法蓮華経」と唱えることはすなわち、「法華経の教えに帰依する」「法華経の教えのとおりに生きる」という決意をそこで表すことに等しい行為なのである(Ⅲ)。
「釈尊の因行果徳の二法は、妙法蓮華経の五文字に具足す。我等、此の五文字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(本尊鈔) ――釈尊は、仏と成るために修行をせられ、その結果、仏となったのである。これは、大きな果報であり、徳であるが、この二つの事がらは、結局、妙法蓮華の五文字に欠けるところなく具わっているのである。であるから、我等凡夫が、この五文字を受け、持てば、格別不思議なことがなくても、自然に修行と果報という功徳を譲り与えて下さるのである――(Ⅰ.p126)
参考文献
Ⅰ 久保田正文 1967 日蓮 講談社
Ⅱ 中尾堯 2001 日蓮 吉川弘文館
Ⅲ 藤井寛清 2005 日蓮 ナツメ社