朱子学

出典: Jinkawiki

2008年11月25日 (火) 21:49 の版; 最新版を表示
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○朱子学(しゅしがく)
 南宋の朱熹(しゅき)によって再構築された儒学説。日本で使われる用語であり、中国では、朱熹がみずからの先駆者と位置づけた北宋の程頤(ていい)と合わせて程朱学・程朱学派と呼ばれる。理気説による宇宙論・存在論、格物致知を基とした実践論を説く。日本には鎌倉時代に伝えられ、江戸時代に普及して、官学として封建社会の中心思想となった。朱学。宋学。道学。
 一般には正治元年(1199年)に入宋した真言宗の僧俊芿が日本へ持ち帰ったのが日本伝来の最初とされるが、異説も多く明確ではない。

○概要
 万事万物はすべて理と気とからなる(理気二元論)。理とは万物の存在の根拠・始源、気とは万物を構成する物質・質料あってまったく別の二物であるが、たがいに単独で存在することができず、両者は「不離不雑」の関係であるとする。また、気は運動性をもち、理は根本的実在として気の運動に対して秩序を与えるとする。この理を究明することを「窮理」とよんだ。朱熹の主張する学説は性即理説といわれ、陸象山の学説心即理説と対比された。朱熹は、心即理説を、社会から個人を切り離し、個人の自己修養のみを強調するものとして批判した。一方で朱熹は、陳亮ら功利学派(事功学派)を、個人の自己修養を無視して社会関係のみを重視していると批判している。
 人間の心は「性」と「情」の二つから成り立っている。「性」とは、分かりやすく言えば心の本質であり、あくまでも静かであるが、これが動くと「動」になる。そして「情」の動きが激しくなると、バランスが崩れて「欲」になるのだという。例えて見れば、「性」とは、水の澄んでいる状態、「情」とは、水の流れている状態、「欲」とは、水の氾濫している状態、と言ってよいかもしれない。「欲」までいってしまえば悪になる。そうならない為には、たえず「情」の動きにブレーキかけて、「性」にまで引き戻す努力が望まれる。これが朱子学の要請する倫理的な課題である。つまり朱子学は、「性」にのみ「理」を認める立場をとる。これが「性即理」にである。

○日本への影響
 後醍醐天皇や楠木正成は、朱子学の熱心な信奉者と思われ、鎌倉滅亡から建武の新政にかけてのかれらの行動原理は、朱子学に基づいていると思われる箇所がいくつもある。その後は長く停滞したが、江戸時代に入り林羅山によってその名分論が武家政治の基礎理念として再興され、江戸幕府の正学とされた。だが皮肉なことに、この朱子学の台頭によって天皇を中心とした国づくりをするべきという尊王論と尊王運動が起こり、後の倒幕運動と明治維新へ繋がっていくのである。
 朱子学の思想は、近代日本にも強い影響を与え、軍部の一部では特に心酔し、二・二六事件や満州事変にも多少なりとも影響を与えたといわれている。


参考文献
・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(朱子学)
http://www.geocities.co.jp/HiTeens/8761/japan11.htm
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?id=0917910-0000&kind=jn&mode=5
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/siso_toyosiso_syushigaku.htm

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