文明開化

出典: Jinkawiki

2009年1月7日 (水) 23:19 の版; 最新版を表示
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文明開化の意味としては、人知が開け世の中が進歩すること。明治初年、富国強兵をめざす政府は、西洋文明の摂取による近代化の推進をはかり、率先して西洋の産業技術や社会制度から学問・思想や生活様式にいたるまでを取り入れようとした。これにともなって明治初期の国民生活において、新しい風潮が生じ、近代的思想や学問が生まれることとなる。これらはジャーナリズムなどを通して大都市を中心に広まり、部分的には庶民の風俗や習慣にも浸透した。このような現象を文明開化と呼んでいる。つまり明治時代の日本に西洋の文明が入ってきて、制度や習慣が大きく変化した現象のことをさす。特に江戸時代を通して続いてきた封建社会から大きく変化した時期を指して用いられたりする。文明開化という言葉は、漢書に出典をもつ「文明」と「開化」とを結び付けた造語であり、福沢諭吉が「文明論之概略」において初めて使用したと言われている。

有名な言葉

この時代を象徴している言葉に「チョンマゲ頭を叩いてみれば因循姑息の音がする、散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする」とある。前時代の古いものを野蛮未開と否定し、次々と入ってくる西洋文化を摂取していくことが社会進歩の道なのであるとされ、文明開化という言葉はその時代に優越的な合言葉となった。散切物と呼ばれる歌舞伎芸能の新形態発生などといった現象もみられ、仮名垣魯文(かながきろぶん)の「安愚楽鍋(あぐらなべ)」にある「牛鍋食わぬは開化不進奴」つまり、牛鍋を食わないなんて、とんでもない時代遅れな奴であるといった言葉からも、食文化の変化が大衆の生活にも取り入れられていった様子が分かる。

文明開化の象徴

文明開化は、思想界では、それまでの儒教・神道による考え方や古い習慣が時代遅れとして排斥され、変わって自由主義・個人主義などの西洋近代思想が流行した。新思想の啓蒙書としては、福沢諭吉の「西洋事情」「学問のすすめ」「文明論之概略」や、中村正直訳のスマイルズ「西国立志編」やミルの「自由之理」などが盛んに読まれた。 教育の面では、1871年に文部省の新設、1872年にはフランスの学校制度にならい、統一的な学制が公布された。教育制度の整備に関しては主として政府の力で進められたが、私学も創設されて特色のある学風を発揮した。またこのころにランドセルも使用された。 文明開化の風潮は、東京など都会の世相に良く表れた。洋服の着用が、軍人や巡査から民間に広まり、散切り頭が文明開化の象徴と見られた。またこの時期は、新聞の他に錦絵も盛んに発行された。東京銀座通りには、煉瓦造で洋風の建物が建ちならび、ガス灯や人力車、鉄道馬車などは東京の名物となった。この他、文明開化の表れとしては、ランプ、洋館、シャボン、洋傘、また学校や和洋折衷の建築、雑誌等多くのものが開化物として挙げられる。これらのものは、東京、大阪、京都また開港場の横浜、神戸などの大都市の中心街に際立ってみられ、地方には一般化はしていなかったものの、新聞や錦絵等、または仮名垣魯文(かながきろぶん)「安愚楽鍋」などの文明開化の宣伝教化の出版物によって多くの人々に知らしめた。その他の文明開化の象徴として、食文化からすると、すき焼きや牛鍋などといった肉食のものや、あんぱん、牛乳の飲用といったものが有名である。さらに鉄道では明治5年に新橋~横浜間が開通して蒸気機関車が運行を開始したり、蒸気船、郵便などの制度もできた。


参考文献 http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%96%87%E6%98%8E%E9%96%8B%E5%8C%96/ 山川出版社 詳説日本史 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%98%8E%E9%96%8B%E5%8C%96


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