カルヴァン

出典: Jinkawiki

2009年1月8日 (木) 01:07 の版; 最新版を表示
←前の版 | 次の版→

神政政治の展開

カルヴァン(1509-64)はフランス生まれ、ジュネーヴの宗教改革者であり、予定説を説いた人物として知られる。カルヴァンの教説は、基本的にはルターの思想を継承するが、彼の場合は神の絶対的な主権を説き、信仰を内面だけの問題とはせず、地上の全ての生活を神意、聖書に基づくようにつくり替えようとした。ドイツのルター派がローマ教会に対抗するためにドイツの世俗権力と結びついたのに対して、カルヴァンはジュネーヴにおいて、すべて(国家も法律も人々の生活も)を聖書の考えに従属させるような神政政治を展開していった。ジュネーヴの人々は、キリスト者の務めとして禁欲的な生活を要求され、(例えば飲酒・ダンス・トランプ・姦淫などの禁止など)これに違反した場合は厳しく罰せられた。神政政治の中心となったのが、彼が創立した教会制度であった。特に、一般信者から選ばれた長老が教会の運営を行うという自治的な組織をもっていたという。これは一種の代議制であるが、後にピューリタン(イングランドのカルヴァン派の呼称)が移住したアメリカ植民地において民主主義として発展していく。

生涯

1509年にフランスのノワイヨンに法律家の子として出生する。14歳でパリに遊学し、パリ大学のラ=マルシュ、モンテーギュ学寮に学ぶ。19歳でオルレアンへ行き、法律を学び、その後パリの王立教授団でギリシア語・ヘブライ語を学ぶ。24歳の時、ニコラ=コップの演説事件によってパリを脱出し、その後はフランス各地を逃げ回る。27歳で、『キリスト教綱要』を出版し、ジュネーヴに滞在して宗教改革に参画する。しかしその2年後にはカルヴァンの改革に対する反発によってジュネーヴを追放されるが、32歳で呼び戻され、『教会規則』を定め、聖書に基づく神政政治を行う。46歳で、ジュネーヴの宗教改革を完成。ジュネーヴに大学を創設し、ジュネーヴで死去する。

基本的信仰

カルヴァンは子供の宗教教育のために教理問答を著している。この中にカルヴァンの信仰の基本的立場が明確に示されている。神を認識することが信仰の中心であり、それによって自分(神の被造物としての自分)への認識が深まるとしている。また、人の救済は神が予め決定しているという予定説を説き、市民に生活のすみずみまで厳格な規律を求めた。人間の救いは神があらかじめ決定しており、神に選ばれ、救いが予定されているものは、市民生活も当然に神の意にかなう規律正しいものになると考えた。「原罪」は、人間の罪深さの根源であるが、自力では克服できず、神からの赦しのみが救いの道であるとし、救われるか、断罪されるかは、神の永遠の計画によって予定されており、人間の意思の入りこむ余地はないとしている。神の力の絶対性を説くカルヴァンは、信仰は人間の側から起こるものではなく、神の御心によるものであるという考え方を示している。


参考文献 アプローチ倫理資料  東京法令出版 詳解 世界史B  三省堂 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成