司法権と裁判官の独立
出典: Jinkawiki
司法権の独立
立法権・行政権・司法権の3つの権力が分かれて権力の集中を防ぐという三権分立制。日本をはじめ多くの民主主義国家がこの体制を採用している。なかでも「司法権の独立」が強調されるのはなぜであるか。それは、司法権に「人権の最終的な保障・救済」の機能が求められているからである。立法権の作った悪法に基づいて不条理に逮捕されてしまった人たちを裁判で救済する。行政権が法を濫用して侵そうとする人権を裁判でしっかり保障する。特に民主国家では立法権・行政権ともに政党政治の影響を受けやすいという面がある。そのようなものから裁判所は「理性の使い手」として人々を守ることが要請されているといえる。そのため、とりわけ司法権は、どこからも干渉されず、高度な独立性が要求されているのである。
国政調査権の限界
国会は裁判所の下した判決に対して意義申し立てを行うことができるのだろうか。戦後間もなく「浦和事件」というものがあった。親子無理心中を図ったけれども死に切れなかった母親に対し、ある裁判所が執行猶予の判決が出したのだが、これに対して「刑が軽すぎる」と国会が反発、国政調査権を使って裁判そのものの調査をしようとした。しかし最高裁判所は、裁判そのものを司法以外の権力が審査することは司法権の独立を侵すとして猛烈な抗議をしました。そのこと以来、裁判の内容そのものを国会などが審査するようなことは事実上できなくなっている。 司法権の独立確保の歴史 司法権の独立が憲法上確立していなかった戦前にも、司法権の独立を確立しようとした人がいた。当時の最高裁判所に相当する大審院の院長、児島惟謙(いけん)である。児島は、日本史でも有名な「大津事件」(ロシアの皇太子が日本の警察官によって斬り付けられ負傷させられた事件)の裁判において、ロシアへの配慮から死刑を求める政府の要求を退け、あくまでも法を遵守して(今でいう)無期懲役を言い渡したのだ。こうして児島は政府からの干渉から「司法権の独立」を貫くことができたのでした。このことは高く評価されている。しかし、児島はこの判決を言い渡すため、政府に従って死刑を言い渡そうと主張する裁判官たちを説得するという行動に出たのである。裁判長だからといって、他の裁判官を説得することは許されるのだろうか。 裁判官の独立 裁判官ひとりひとりが、誰の指図をも受けず、単独で法律と向き合い判決を下すことが保障されないと、「司法権の独立」は完全には確立しない。つまり他者からの干渉をシャットアウトする「裁判官の独立」が確立しなければならないのである。そういう意味で、児島が行った説得行為は、裁判官への干渉行為にあたるもので、「裁判官の独立」に反すると考えられている。ただ、児島がそうでもしなければ、肝心な「裁判所(司法権)の独立」が侵されてしまっていたのある。憲法にも、「裁判官の独立」が尊重されるべきことが規定されている。日本国憲法 第76条3項「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」むかし、「平賀書簡事件」というのがあった。ある裁判を行っていた裁判官に、その裁判所の所長がアドバイスとして「書簡」を送ったものである。そこにはこういう判決をしたほうがいいということまで書かれてあったのである。この所長の行為は「裁判官の独立」を侵す憲法違反行為であるとされ問題になった。結局、所長は最高裁判所から注意処分を受け、転任させられた。
参考引用
http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20061219A/