享保の改革

出典: Jinkawiki

2009年1月9日 (金) 15:58 の版; 最新版を表示
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 享保の改革とは、商品経済の発展により変質に遂げつつあった幕藩体制を安定強化するために、江戸幕府八代将軍徳川吉宗が主導して行った一連の改革政治をいう。「諸事権現様(家康)通り」を標榜し、将軍親裁を強化、家柄による役職の独占的な世襲制を排し、下級幕臣でも優秀な幕臣人材が登用されるように足高の制などにより、幕府官僚制整備し、また、旗本・御家人の財政救済のため上米の制を実施した。上米の制とは、諸大名に対し知行高一万石につき100石ずつ差し出させ、これを旗本・御家人への給付に与える制度である。 農村政府では、定免制を敷いて年貢を強化し、大規模な新田開発を進め、あるいは甘藷など新作物の開発奨励するなど、積極政策をとった。また米価安定、通貨統一、株仲間整備などの商業資本の統制にも留意した。 目安箱というのは、幕政改革の参考にするために、江戸城竜ノ口評定所前に設置した投票箱で、一般庶民はこれに進言・要求・不満などを投書した。この投書により、吉宗は小石川養成所の設置や江戸市中の防火方針などを定めた。 「公事方御定書」というのは、幕初以来の重要法令を集成した江戸幕府の基本法典である。 これらは幕府体制安定のために大いに効果を上げたが、やがて貢租増長は限界に達し、1731年の大飢饉による米価変動を契機として、質の劣った文字金銀を増発するなど、路線修正をせざるをえなかった。

【参考文献】『日本史小辞典』竹内理三編,角川書店,昭和61年


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