ルイ14世

出典: Jinkawiki

2009年1月9日 (金) 18:46 の版; 最新版を表示
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ルイ14世 Louis XⅣ(1638-1715)

1643から1715までのフランス王で、フランス絶対主義を代表する専制君主。太陽王とも呼ばれる。 母后の摂政の下5歳で即位するが、政務の実験は宰相マザランが握った。彼が親政を始めたのはマザラン※の死後で、王者にふさわしい威厳・英知・体格によって絶対君主として体制を整備した。行政的にも中央では宮廷内の諸会議、地方に対しては知事によって集権化を図り、コルベールをはじめ、有能な人材を登用して経済力、軍事力など国力の充実を図った。対外的には自然国境説を唱え、フランドル戦争(1667-68)、オランダ戦争(72-78)、アウグスブルク同盟戦争(89-97)、スペイン継承戦争(1701-14)などの侵略戦争をしばしば行った。しかし、これらの戦争で得られたものは少なく、逆に世界におけるイギリスの優位やフランスの国庫財政の窮乏化を招き、絶対王政の矛盾が強化された。1685年にはナントの勅令を廃止したためユグノーの国外逃亡により、産業にも打撃を受けた。治世の晩年には絶対主義の矛盾が表面化し、改革的な思想を唱えるようになった。

また、この時代はフランス文化の黄金時代で文学・芸術にもすぐれた詩人、芸術家、思想家も出て、ヴェルサイユ宮殿を中心としてはなやかな文化が繰り広げられた。


※マザラン Jules Mazarin(1602-61) イタリアに生れ、1639年にフランスに帰化した。ルイ13世の時期にリシュリューらのひきたてにより枢機卿となり、政界に登場する。13世の死後はルイ14世が幼少のため特別な関係があったといわれる母后とともに政治を左右した。

対外政策においてはウェストファリア条約によって、アルザスの獲得やドイツの弱体化に成功し、またピレネー条約によってスペインの干渉排除することでハプスグルク家の勢力を削減し、ブルボン家の国際的優位の確立に成功した。しかし、内政では、フロンドの乱をはじめ、国内安定には成功できなかった。


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