弥生土器

出典: Jinkawiki

2009年1月10日 (土) 11:16 の版; 最新版を表示
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・弥生土器とは

弥生文化に用いられた軟質、赤焼きの土器。縄文土器に後続し、古墳時代の土師器に先行する。1884年(明治17)に東京本郷の弥生町向ヶ丘貝塚(弥生町遺跡)で採集された土器がもとになって、90年代から「弥生式土器」の名称が生まれた。弥生土器が行われたのは、弥生文化の領域、すなわち南は九州地方から北は東北地方までである。その南と北では沖縄先史時代後期土器と続縄文土器が行われた。ただし最近では、沖縄本島を弥生文化の領域に含める可能性も論じられている。


・器種と用途

特定の形、容量、装飾を備えた器を器種と呼ぶとき、弥生土器を構成する主な器種に壺、甕、鉢、高杯があげられる。 壺は胴が丸く、頸がすぼまり、口が大きく外反する形を典型とする。主要用途は貯蔵にあり、実際に米、桃(種子)、貝製の腕輪を収納したまま出土した実例もある。貯蔵用の穴蔵に壺がたくさん入っていることもあり、籾や米を蓄えたことも疑えない。 甕は、大きさ、容量によって用途が異なる。容量2~7リットル程度の小型、中型品が煮炊きに使われた。内部に飯がこげついて残っていることも多く、米を直接煮て食べる調理法が一般的であったことを証明している。大型の甕は火にかけた痕跡をとどめておらず、水を蓄えたと考えられる。 鉢・高杯は、食物を盛り付けるための器である。 日常の生活に用いる土器はしばしば転用され、墓に供えられたり、幼児を葬る棺や再葬の納骨容器としても使われている。本来、埋葬や祭儀用に作った土器もある。代表的なものは、九州北部の甕棺で、高さ1メートルに達する特大の甕を棺として用いている。また、甕棺墓地でまとまって見出される壺、甕、鉢、高杯、そして壺をのせる高い器台は、丁寧な作りで赤く塗っており、使用の痕跡をとどめておらず、明らかに墓地で営まれる祭りのために特別に作り、使ったものである。

弥生土器は壺が全体の5割前後を占め、弥生時代中頃に高杯が主要な器種となり、それ以来、壺、鉢にも台を付けるものが増え、そして台を独立させた器台が登場する。ただし、東日本においては、高杯・器台は弥生土器の主要器種をなさないことが多く、むしろ土師器の器種として普及している。これらは農耕祭祀の発達と階級社会への歩みの反映とみてもよい。



・製作技術

弥生土器の焼成温度は600~800程度で、酸素を十分供給した状況(酸化炎)で焼き上げている。弥生土器の技術的特徴は、鉄器時代の土器にふさわしく、鉄斧で割った板の木目を利用して器面をなでて刷毛目と呼ぶ文様を施し、また鉄の刃で刻んだ櫛描文を描き、溝を彫った叩き板でたたき目をつけ、鉄のナイフで彫った文様を押し付ける(スタンプ文)など、土器作りにかかわる木の工具に鉄の利用が目立つことがあげられる。 また、立体感のある彫刻的文様は、ほとんど姿を消しており、それに代わって平面的構成の文様が発達しているということも特徴である。それも時代の推移にしたがって、簡略化が進み、器体の上半部分を中心に施文するものが多くなる。そして、その傾向は、さらに文様の施文分を限定し、なかには施文しないものを生んでいる。






参考・引用文献

・日本史大事典 第6巻   下中弘   1994    株式会社平凡社

http://maebashi.cool.ne.jp/kuruchi/ancient1.shtml


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