川端康成
出典: Jinkawiki
1899明治32年 6月14日、大阪市北区此花町1丁目79番屋敷に、父栄吉、母ゲンの長男として出生。父は医師で、漢詩文、文人画をたしなんだ。4歳上に姉芳子がいた。
1901明治34年(2歳) 父親が死去。その後、肉親と次々に死別し、15歳で孤児となる。
1917大正6年(18歳) 第一高等学校入学。
1918大正7年(19歳) 伊豆旅行で旅芸人と会う。
1924大正13年(25歳) 東京大学国文科を卒業。横光利一らと「文芸時代」を創刊。
1926大正15年(27歳) 「伊豆の踊子」を発表。
1929昭和4年(30歳) 朝日新聞に「浅草紅群」を連載。
1935昭和10年(36歳) 「雪国」の断章を発表。
1949昭和24年(50歳) 「千羽鶴」「山の音」を発表。
1961昭和36年(62歳) 「古都」を連載し文化勲章を受章。
1968昭和43年(69歳) 日本人として初めてのノーベル文学賞を受賞。
1972昭和47年(73歳) 創作力の衰えから伊豆マリーナの仕事場でガス自殺。
作風
初期の代表作「伊豆の踊子」や「掌の小説」と言われる短編小説に特異な叙情的才能を発揮して注目され、「雪国」において、その叙情性は完全に表れた。 彼の文学は根底に孤独者の悲しみをたたえながら、その孤独に見合う叙情的な美しさを常に追求するもので、戦後も「千羽鶴」「古都」などの名作を書いた。
伊豆の踊子
伊豆を旅していた一高生の私は、道連れになった旅芸人一行の踊り子に心を惹かれる。 踊り子の清純な姿は孤独の為に歪んだ私の心を洗ってくれて、彼女らの「いい人」という自分に対する言葉も素直に受け止められるようになる。下田での踊り子達との別れのあと、私は船室でいつまでも涙を流していた。
参考文献…国語便覧 浜島書店 参考HP…川端康成記念館 http://www.kawabata-kinenkai.org/
雪国
島村は、自己の非現実性に不安を感じ旅に出る。ある時上越の温泉場で出会った、芸者、駒子のひたむきな愛情に胸を打たれる。また駒子の妹分、葉子の清純な姿にも強く心を惹かれる。三回目の滞在の時、火事が起こり、島村と駒子の目の前に、燃える2階か葉子が落ちてきた。