パチャクティ
出典: Jinkawiki
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略伝
(?~1471年)インカ第9代王。インカを帝国存在へと変貌させるはじまりを築いた王であると考えられている。
パチャクティの偉業
パチャクティは1438年に即位したといわれている。パチャクティ以前の時代は「アウカ・ルナ(好戦的な人々を意味する)」、兵士の時代とよばれ、アンデス諸地方は慢性的な闘争状態にあった。
初代マンコ・カパック王がインカ王朝を創始したとき、インカはクスコ盆地周辺にのみ勢力を持つ一部族に過ぎなかったため、この地方の富をねらってほかの部族チャンカが襲来する。状況は切迫し、第8代王ヴィラコチャにクスコの命運は託されたのだが、老王に戦意はなく、溺愛する王位継承者ウルコ王子とともにクスコを離れ、別荘に逃げ込んでしまう。王都を守るべく決然と立ち上がったのは若き王子インカ・ユパンキだった。しかし近隣の諸部族に援助を断られ、孤立無援の苦境に立たされる。しかし、夢にアンデスの創造神がまばゆい光とともに現れ、神軍をおくることを約束する。決戦の日、クスコにはチャンカ軍が流れ込んだ。ところが、敵の軍勢の前にどこからともなく現れた20もの大部隊が立ちはだかる。「さあ、参りましょう。私たちの唯一の王君、敵は斃れ、本日主君の虜となりましょう。」こう王子に告げた兵士たちは壮絶な戦闘を開始し、チャンカ軍は壊滅する。勝利者の王子は名を「パチャクティ」と改名した後、第9代王として即位。その後、アンデスの全域に向けての征服戦争を開始し、巨大な帝国を築くにいたった。
「パチャクティ」とはケチュア語で「変革者」を意味するとされ、通説では、彼こそがアンデスの地に革命をもたらした文化英雄として称賛されている。
王としての日常
王は頭に「リャウト」と呼ばれる王冠のように編まれたひもを巻き、その正面からは、良質の毛で作られたえんじ色の「房飾り」が額に垂れ下がっていた。これが「マスカパイチャ」と呼ばれる王徴であり、「サパ・インカ=唯一の王」と呼ばれた者にのみ着用することが許された王権の究極のシンボルだった。『新しい記録と良き統治』という記録に、パチャクティも着用していた様子が描かれている。
王の視線は常に地面のほうにやられ、何かを見るために持ち上げられるということはなかった。また、王が触ったものは、誰の手にも触れることがないように毎年焼いて灰にし、空中に撒かれた。王の体から落ちた毛髪は側女が食べていたといわれる。髪の毛を通じて呪術をかけられることが恐れられていたかとされる。
このようにインカ王の特徴のひとつはその「不可触性」にあったとする。
マチュピチュ
ペルー・クスコ県ウルバンバ郡の標高2400mの尾根上にあるインカ期の遺跡。大小の広場を囲んでいくつかの区画があり、無数の建造物が並んでいる。内部には、天体観測場、日時計、礼拝石などがある。第9代皇帝パチャクティの私領(郊外の王宮)であるといわれている。
参考文献
網野徹哉 2008 「インカとスペイン 帝国の交錯」 講談社
高野潤 2001 「インカを歩く」 岩波新書
www.nhk.or.jp/inca-maya-aztec/ja/01-incan/spread-empire/the-rule.html
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