出典: Jinkawiki
2009年1月22日 (木) 16:49 の版;
最新版を表示←前の版 |
次の版→
九州南部には熊や鳥の隼の字をあてられた人々が住んでいた。記紀には隼人より先に熊襲が登場する。
熊とは肥後の球磨地方、襲は大隅の囎唹地方をさすともいわれている。隼人は薩摩・大隅半島に居住した
人々である。呼称の違いは征討の時期のズレ=地域差、あるいは服属の有無が反映されている。
また、記紀では熊襲は朝廷に従わざる者、隼人は服従した者とされ、令制では衛門府に隼人司が
置かれ宮門警備などにあたっていた。
参考資料
日本史総覧 星沢哲也
日本史用語集 本郷充