平賀源内

出典: Jinkawiki

2009年1月23日 (金) 21:39 の版; 最新版を表示
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平賀源内  1728年(享保13年)讃岐国の寒川郡志度浦で、白石茂左衛門の子として生まれる。幼名は四方吉(よもきち)・伝次郎、のち嘉次郎と称した。通称は源内または元内という。源内の祖先を遠くさかのぼると、平賀三郎国綱に達するという。国綱は、南朝の忠臣、『太平記』中の英雄の1人であり、源内はその血を受けていて『太平記』は子供のころから愛読していたという。

 また、早くから英才ぶりを発揮し、「天狗小僧」の異名を得た。


目次

発明

「おみき天神」 

 12歳の時、「おみき天神」と呼ばれる、一種のからくりを作った。

 これは、狩野派の筆法で描かれた天神像を軸物仕立にし、背面に仕掛けをほどこしたものである。天神像の前におみきをそなえる、ほんのわずかな隙に仕掛けの糸をすばやく引くと、裏側の赤い紙が天神の顔の部分に来て、それに赤みがさすという仕組みである。


「火浣布」 

 37歳の時には、「火浣布(かかんぷ)」という石綿を混ぜて織った、火に強い布を完成させ、その独創性を誇り、『火浣布略説』という宣伝パンフレットに近いものも出した。


「タルモメイトル」 

 源内は、明和2年オランダ製のタルモメイトル=寒暖計を初めて見て、値段の高いことに驚き、このくらいなら容易に作れると公言し、1768年(明和5年)源内41歳の時、模造品を作って好事家たちに送った。


「エレキテル」

   エレキテルとはラテン語のElectriciteitの転訛(語の本来の音がなまって変わること)したものであり、源内もその時やや正確に「ゑれきせゑりていと」と書いている。エレキテルはオランダから伝来し、病気の治療に役立つとされた。『厚生新編』によると、明和年間源内は長崎で通詞・西善三郎がかつて持っていたエレキテルの壊れたものを手にいれ、それを江戸に持ち帰り、復元しようとして苦心し、ある年は参府のオランダ人たちに聞いたりし、最後は彼らにつき従ってきたものからヒントを得て、ついに復元に成功した。この時1776年(安永5年)11月で、エレキテルを長崎で手に入れてから7年の月日が経っていた。


金山事業

  源内は1764年(明和元年)の石綿発見以来秩父と縁が深まり、同2年3月再び石綿を求めて秩父郡中津川村に行き、「かんすい石」などを発見して帰り、4月には中島利兵衛の一族が中津川で金・銀・銅・鉄・ろくしょう・明ばん・たんぱん・磁石などを発見し、中島一族と源内との間に金山事業に取りかかる相談がまとまった。事業はやがて始まり、翌4年5年と金鉱を掘り続けた。源内もしばしば中津川に赴き、采配をふるった。

 中津川金山は源内が中心となり、中島一族が協力したが、明和6年以降は休山し成功することなく終わった。


画家

  『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』巻之六に「蔗(さとうきび)ヲ軋(しぼり)テ漿ヲ取ル図」があり鳩渓山人自画としている。本草学においては真実に近い描写が必要で、『物類品隲』においては 南蘋(なんぴん)派の宋紫石に絵を描かせている。写実的な西洋画に強く惹かれたことは間違い無く、第2回目の長崎遊学の時自らが西洋画を描き、実技を身につけた。それが神戸市博物館蔵の有名な「西洋婦人図」である。

  その2年後秋田へ鉱山指導に招かれた折、角館の宿で小田野直武に西洋画の陰影法・遠近法を教える。それがきっかけで小田野直武は江戸に出て『解体新書』の挿絵を描き、西洋画法を身につけ、秋田の地に蘭画が広まる。

  秋田藩主佐竹曙山の『画法綱領』と司馬江漢の『西洋画談』が共に源内の弟子であるところの画論から源内のそれも類推される。

  南蘋画⇒秋田蘭画⇒司馬江漢の銅版画・油絵と続く日本西洋画の流れの源流に源内は居た。  


その他

  蘭学者として油絵や鉱山開発など外国の文化・技術を紹介した。戯作の開祖といわれ、戯作者としては、風来山人・天竺浪人というペンネームを称して『根南志具佐』『風流志道軒傳』を発刊、浄瑠璃作家としては、福内鬼外(ふくちきがい)というペンネームを用いて活躍していた。また「平賀焼」などの焼き物を作成したり、多彩な分野で活躍し、博覧会の開催を提案し、江戸湯島で日本初の博覧会「東都薬品会」を開催した。


晩年

 事業による赤字や、エレキテルが偽造され、源内の独占物ではなくなったりと源内の経済状況は目に見えて悪化してきた。

 また弟子の森島中良=森羅万象の『驪山比翼塚(めぐろひよくづか)』の上演が源内の作より評判がよく大当たりだったことで2人の間に一悶着が起こる。このもめごとがついに人を殺傷する事件にまで発展する。

 1779年(安永8年)11月21日に源内は人を殺してしまい、投獄される。その後12月18日に52歳で獄死する。


参考

   http://ew.sanuki.ne.jp/gennai/whatgennai.html#what2(平賀源内先生遺品館)

 人物叢書 新装版『平賀源内』 著:城福 勇 日本歴史学会編集 出版:吉川弘文館 



 


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