日米原子力協定

出典: Jinkawiki

2009年1月27日 (火) 14:59 の版; 最新版を表示
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日米原子力協定

1955年6月21日仮調印、11月14日ワシントンで調印された。アメリカから日本への濃縮ウラン貸与協定で、研究原子炉用に濃縮ウラン235を、6キロを限度にアメリカから日本に貸与すること、使用済み燃料のアメリカへの返還、貸与燃料を目的どおり使用することを義務化し、その記録を毎年報告することが協定された。なお、この一ヵ月後の12月16日、原子力基本法が制定され、原子力の利用は平和目的に限り、民主的運営のもと、自主的に事を行い、成果を公開し、国際協力に資することが規定された。


*原子力基本法…昭和30年12月19日に公布された。基本方針として、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。(民主・自主・公開の平和利用3原則)


《目的》 岸内閣は、原子爆弾の投下・実験・備蓄に対する国民の強い反対世論の流れを変え、「原子力の平和利用」の象徴として、アメリカから導入された濃縮ウランによる原子力発電を宣伝し定着させることに取り組んだ。

また、岸内閣のもとで最初に成立した重要な法律は原爆医療法であったが、治療者の対象を広島・長崎の被爆者に限り、立法の契機であるビキニ水爆事件被爆者やコ今後の被害者とその子孫などへの対策は、対象から除かれた。


*ビキニ水爆事件…1954年3月1日、第五福竜丸はマーシャル諸島近海において操業中に、ビキニ環礁で行われた水爆実験(キャッスル作戦・ブラボー(BRAVO)、1954年3月1日午前3時42分実施)に遭遇し、船体・船員・捕獲した魚類が放射性降下物に被曝(間接被爆)した。


参考文献 佐々木隆璽著 『占領・復興期の日米関係』 山中出版社 2008年発行 http://www.aec.go.jp/jicst/NC/about/hakusho/wp1980/sb2040201.htm フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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