白川郷

出典: Jinkawiki

2009年1月28日 (水) 15:09 の版; 最新版を表示
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白川郷は、岐阜県飛騨の西部、大野郡荘川村、白川村などを含む庄川上流域一帯の飛騨山地を指す。

 秘境として知られていたが、現在では観光や電源開発が盛んである。 飛騨山地は豪雪地帯であり、白川郷の合掌造り集落は、茅葺の大きな切妻合掌造りの家屋が象徴的である。 自然との共生、長い間の人々の知恵が生んだ独特の山里景観が評価され、1995年に白川郷及び五箇山の合掌造り集落世界遺産(都市・集落の文化遺産)として、ユネスコに登録された。


歴史

 庄川最上流の旧白山神社からは、平安時代後期の古鏡が出土している。 また、1183年の倶利伽羅峠峠の戦いで敗れた平家の落人が住み着いたという伝説もある。 1265年、親鸞の弟子である嘉念坊善俊が鳩谷(現在の白川村)に道場を開き、浄土真宗の本格的な布教を始めた。 その後、1460年に内ヶ島将監がこの谷に入り、1475年に全白川郷を支配した。 しかし、同氏は1585年の大地震で、帰雲山の崩壊とともに突然滅亡した。 江戸時代には金森氏領となり、天領となった所と一部照蓮寺領として続いた所とがある。 明治~大正までは、交通の便が非常に悪かったため秘境となり、厳しい自然条件のもとに生まれた、特色ある大家族制度が残存した。 大家族制度は、家長が絶対の権限を持ち、家長と相続人たる長男にのみ正式な結婚が認められた。 そのため、次男以下は分家を持つことも、正式な結婚も認められず、皆家族として、焼畑耕作や養蚕に従事しながら、一軒に30~40人が生活した。 第二次世界大戦後は、電源開発のが急激に進み、御母衣ダムなどが次々と建設された。 ダムの建設に伴い、水没地域の住民は立ち退き・離村を余儀なくされた。 その一方、不便であった道路は改良され、ダム補償によるスキー場やゴルフ場、別荘地の建設や役場など公共施設の改築も行われた。


 


参考文献

奈良大学文学部世界遺産を考える会(編) 鎌田道隆(著) 2000 世界遺産学を学ぶ人のために 世界思想社


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