追儺
出典: Jinkawiki
2009年1月29日 (木) 12:11 の版; 最新版を表示
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「儺やらい」「鬼やらい」ともいい、十二月晦日に禁中において疫鬼を追い払う大陸より伝わった儀式。
日本では文武天皇の頃に伝わったといわれている。現在の「節分の儀式」の源流だと考えられる。
【儀式の内容】
この日、天皇は紫宸殿に出御。所司が承明門を開き、公卿参入、中務省が侍従、内舎人大舎人などを率いておのおの桃の弓、葦の矢をもってまいり、陰陽師は斎部(いんべ)を率いて祭文を読む。この時、大舎人寮の長大な者が方相氏となり、黄金四つ目の仮面をつけ、玄衣朱裳を着し、右手に戈(ほこ)左手に楯を持ち、侲子(わらわべ)20人を連れて南庭に参入、「鬼やらい」と儺声を上げて、戈と楯とで三反撃つ。そして王卿らとともに桃弓を射て疫鬼を追い払う。
【儀式の変遷】
もと方相氏というものは無形の疫鬼を追ったのであるが、後にはその姿が恐ろしいことから一転して、方相氏が疫鬼と見られ駆逐されるようになった。さらに後、それが節分の「土牛童子」の儀式と結びつけられ、変形し、いり豆を蒔いて鬼をはらう今日の「節分の儀式」となって伝わっていると考えられる。
【現在の儀式の例】
神奈川県寒川町の寒川神社では1月2日の夜、古式の行事があり、柳で作られた「天のはじ弓」と葦で作られた「天のかぐ矢」をお守りとして分けている。 鬼を追う儀式と豆を撒く儀式のところがあり、現在多くの寺社は後者の例が多い。
京極夏彦 1998 塗仏の宴 宴の支度 講談社
京極夏彦 1998 塗仏の宴 宴の始末 講談社
岡野玲子(原作:夢枕獏) 1999 陰陽師 2 朱雀 白泉社
折口信夫 2000 鬼 河出書房新社