マーストリヒト条約

出典: Jinkawiki

2009年1月29日 (木) 13:53 の版; 最新版を表示
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目次

概要

マーストリヒト条約(マーストリヒトじょうやく、英 Maastricht Treaty)は欧州連合(EU)の創設を定めた条約。1991年12月9日、欧州共同体(EC)加盟国間での協議がまとまり、1992年2月7日調印、1993年11月1日にドロール委員会の下で発効した。協議は通貨統合と政治統合の分野について行われた。本条約の正式名称は欧州連合条約(英 Treaty on European Union)であり、その後の条約で修正が加えられた。

附帯議定書では単一通貨ユーロの創設とEUの3つの柱構造(欧州共同体(EC)の柱、共通外交・安全保障政策(CFSP)の柱、司法・内務協力(JHA)の柱)の導入が規定された。CFSPは欧州政治協力(EPC)に基づくものであるが、本条約でEUの柱構造に取り入れられ、さらにその枠組みは拡大された。JHAは警察機関、刑事司法、民事事件や難民・移民問題についての協力について扱われる分野である。


内容

条約によると、EUの目的は、経済通貨同盟(EMU)の設立、共通外交安全保障政策の実施、司法・内政領域での協力とされ、ヨーロッパ中央銀行の設立や単一通貨の導入がきめられたほか、加盟各国の市民にヨーロッパ市民権が付与された。これによって、EU各国の市民は域内の国々で生活し、はたらき、まなぶ自由が拡大され、国境管理も緩和された。

EUは1993年から域内市場を完全に統合し、アメリカをうわまわる人口約3億7000万の市場が登場した。このため282項目の統合措置が提案され、域内資本移動は自由化されたが、法人税の高いドイツとイギリス、フランス、イタリアとの調整が難航し、企業税制の統一はみおくられた。また人の移動に関しては、95年3月に発効したシェンゲン協定によって特定8カ国間ではあるが、国境がなくなった。

通貨の統一は、EUの政治統合の経済的前提をなしており、1994年1月マーストリヒト条約にもとづきヨーロッパ通貨機構(EMI)が発足した。そして95年12月のEU首脳会議で、99年1月に資本取引などから導入を予定している単一通貨の名称をユーロとすることを決定した。

EFTA(ヨーロッパ自由貿易連合)は、1991年にEC(ヨーロッパ共同体)、EFTA間で物、サービス、資本の単一市場を生みだすヨーロッパ経済地域(EEA)の設立に合意、94年1月1日にヨーロッパ経済地域を発足させて、EU、EFTA間の貿易障壁を撤廃した。その後95年1月、EFTA加盟のオーストリア、フィンランド、スウェーデンがEFTAを脱退してEUに正式加盟した。


マーストリヒト条約の重要な特徴は通貨同盟結成の目標をローマ条約のなかに明示したことと、日程表を欠いていたドロール報告の段階的接近方法に期限を付し、見送りや後退をほぼ不可能にした点である。すなわち第2段階移行は1994年1月と明示し、そのときには、ヨーロッパ中央銀行の前身としてのヨーロッパ通貨機構(EMI:European Monetary Institute)を設立することになった。また経済通貨主権の共同体機関への移譲が行われる第3段階に移行するためには各国の経済パフォーマンスが収束していることが必須の条件であるが、協定は収束状況をみるための4つの収束の判断基準を示した。そして第3段階への移行に関しては、条件が満たされている場合は97年1月から第3段階移行を決定しうるとされていたが、これは実現しなかった。条約によれば、適格国が過半数に達していない場合でも適格国は99年1月には第3段階に移行するとされており、11カ国で予定どおり通貨統合が実現した。


マーストリヒト条約からアムステルダム条約へ

1997年6月に開かれたEU首脳会議は、これまでのEU条約(マーストリヒト条約)を大幅に改定し、新EU条約(アムステルダム条約)を採択した。まず、EUの共通外交や安全保障政策はこれまで全会一致が原則とされてきたが、新条約は賛成国だけで実施義務をおい、棄権国は義務を免除される建設的棄権制を導入することによって意思決定に機動性をもたせた。

また、翌1998年早々に開始される中・東欧諸国との新規加盟交渉をにらんで、機構改革の手順をさだめた。さらに、条約の目的の中に高水準の雇用をくわえることや、労働条件などを規定する社会憲章を従来の条約付属文書から格上げして条約本体にくみいれることなどがきめられた。

この雇用や社会憲章を条約にくみいれたのは、新条約の採択に先だって同じく採択された財政安定協定(安定成長協定)が、通貨統合後の通貨の安定のために、各国の財政赤字が国内総生産(GDP)の3%をこえた場合、極端な景気後退を原因としていないかぎり制裁金を科すとしているのに対する各国の不安を解消するためであった。

この新EU条約(1999年5月発効)を前提に、EUは通貨統合と拡大にむけて本格的にうごきはじめた。


ユーロ

1998年5月に、翌99年1月1日からはじまるユーロの参加国を正式にきめるヨーロッパ理事会(首脳会議)が開かれ、EU加盟15カ国のうち、当面参加をみおくったイギリス、デンマーク、スウェーデン、参加条件をみたせなかったギリシャをのぞく、11カ国が参加することになった。その後ギリシャは、2001年1月に参加し、ユーロ参加国は12カ国となった。

これによって、単一通貨ユーロが、1999年1月1日から資本取引や銀行間取引などでつかわれはじめ、2002年1月1日からは一般流通がはじまり、紙幣や硬貨が市中に出まわるようになった。ユーロを使用する人口は、当面でも約3億人となり、「大ユーロ圏」が誕生した。

1998年6月には、ヨーロッパ中央銀行も発足し、物価安定のためのマネーサプライ政策を中心に、ユーロの金融政策をになっている。


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