アブハジア紛争

出典: Jinkawiki

2009年1月29日 (木) 14:05 の版; 最新版を表示
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グルジアからの独立を求めるアブハジア自治共和国の、スフーミ事件を発端とする紛争。

アブハジアのアブハズ人の比率は、旧ソ連時代、グルジア人、ロシア人の増加によって1926年の27.8%から89年の17.8%へと低下した。

このような状況によって生み出された危機感が、アブハジア紛争の背景にある。

グルジアは1991年4月9日旧ソ連からの独立を宣言し、5月26日ズビアド・ガムサフルディアが大統領に選出された。

しかし、野党は92年1月2日に軍事評議会樹立を発表し、ガムサフルディアは国外に脱出、旧ソ連外相シェワルナゼが同年3月10日に国家評議会議長、10月11日に最高会議議長に選出され、95年11月5日の選挙で大統領となった。

この間の1993年10月22日に独立国家共同体(CIS)に加盟し、95年10月にはロシア軍基地条約に調印した。

このように動揺するグルジア情勢のなか、アブハジアでは1989年7月、スフーミでのアブハズ人とグルジア人の12人の犠牲者を出した衝突をきっかけにグルジアからの離脱運動が強まり、92年7月23日、主権を宣言した。グルジア政府はただちにその無効を表明し、同年8月にはスフーミに派兵したが、アブハジア側は北カフカスからチェチェン人など数千人の義勇兵を集めて抵抗した。

1993年5月にアブハジア、グルジア、ロシアの3か国間でいったん休戦協定が結ばれ、8月に国連安全保障理事会はこの停戦を監視する「国連グルジア監視団(UNOMIG)」を設置した。

しかし9月にはアブハジア側は攻撃を再開。結局グルジア軍と25万人以上のグルジア人はアブハジアから疎開し、難民となった。

グルジアは、94年2月にロシアと友好善隣協力条約を結んでアブハジアの法的地位を認め、ロシアは6月に3000人のCIS平和維持軍を派遣した。

96年11月のアブハジアの最高会議選挙後の12月、避難したグルジア人のアブハジアへの帰還交渉が行われたがまとまらなかった。


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