阪神淡路大震災
出典: Jinkawiki
←前の版 | 次の版→
概要
1995年(平成7)1月17日午前5時46分、兵庫県を中心として阪神地方に甚大な被害を与えたマグニチュード7.3(2001年精査前はマグニチュード7.2)の巨大地震災害の一般的な呼称(災害名。政府の発表による)。地震の名称は兵庫県南部地震である(自然現象としての地震の名称で気象庁の発表)。震源は兵庫県淡路島北部、北緯34度36分、東経135度02分、震源の深さ16キロメートル、淡路島北部から神戸方面に続く活断層のずれによって発生した。この地震により神戸と洲本(すもと)で震度6を観測したほか、東北地方南部から九州地方の広範囲で有感となった。活断層の走っている一部地域では震度7の激震が起こっていたことが判明した。この地震による被害はきわめて甚大で、総務省消防庁の2005年の発表によれば、死者6434人、行方不明者3人、負傷者は4万3792人にのぼる。また家屋の被害は全壊10万4906棟、半壊14万4274棟、一部破損26万3702棟となっている。災害はとくに神戸市に集中し、中心部の長田(ながた)区では2日間延焼して、区全域が灰燼(かいじん)に帰した。木造家屋ばかりでなく耐震設計の鉄筋アパートやビルまで倒壊し、ライフラインの電気、ガス、水道、電話などが壊滅、道路、鉄道などの交通網の寸断、液化現象による人工島ポートアイランドの沈下、日本最大のコンテナバース(岸壁)の崩壊など、都市機能と経済基盤が破壊された。被害は淡路島をはじめ、神戸市、芦屋(あしや)市、西宮市、尼崎市、宝塚市、大阪府など阪神一円に及んだ。
わが国におけるこの100年間の地震災害としては1948年(昭和23)の福井地震(死者約3800人)を大きく上回り、1923年(大正12)の関東地震(死者約14万3000人)に次ぐものであった。またこの震災で、近代都市と防災対策に対し、多くの教訓と課題が明らかになった。
今後の課題
(1)震度情報の重要性が強く認識され、観測、情報の収集・提供方法の充実が求められること
(2)政府等の緊急連絡体制の確保、とくに災害時の初動、危機管理体制の強化が必要であること
(3)内陸に発生する大規模地震の調査研究体制の推進を図ること
(4)各級機関に対して耐震設計基準の再検討を促し、安全基準の普及・対策を図ること
などである。しかし、一番の課題は人々の意識であるだろう。地震はいつ起きるかわからない。ましてや日本は環太平洋造山帯の一部である。いつ地震が来るかわからない。地震に対してもっと敏感に反応し、万が一に備えるべきである。
参考文献
1、日本史小辞典 山川出版社
2、阪神淡路大震災関連情報データベース http://sinsai.fdma.go.jp/search/index.html