ガンディーとインド独立

出典: Jinkawiki

2009年1月29日 (木) 16:03 の版; 最新版を表示
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支配のメカニズム

 支配構造というのは、政治・経済・文化と、社会構造のいかなる領域に発生したものでも、それが十分な力を持つ限り他の領域に波及していき、最終的にはすべての領域において支配構造が完成し、その社会全体の支配構造を形成するというメカニズムを持っている。イギリスとインドの関係で見てみると、イギリスは当初その圧倒的な軍事力によって、まず政治的な支配構造をインドに確立した。そして、この政治的支配構造の上に植民地経済という経済的支配構造を確立し、それをさらにインド会社のイギリス化という形で、文化の領域にも拡大していった。インドの独立運動家たちは、当然のことながらこの植民地支配の源である政治的な支配構造を暴力で克服することを考えていたが、ガンディーはこの三重の支配構造から脱し得ない限り独立はありえないことだと考え、逆に経済・文化の支配構造の克服から独立運動を進めていこうと考えた。これは、支配構造の拡大の過程を逆回転で戻していくという発想である。


文化的支配の克服

 長年の文化的支配の下、インドの大衆の意識は、宗主国イギリス、イギリス人、イギリス文化といった「イギリス的なるもの」に対する畏敬の念が刷り込まれていた。独立に必要不可欠なインド人としての自覚、そして精神的自立を人々から奪っている服従心の克服が、独立運動の大衆的広がりにはふかけつであるとガンディーは考え、土着の文化への回帰を人々に訴えて回った。その象徴が手紡ぎ車(チャルカ)であり、ガンディーが回すチャルカには、イギリスによる文化的支配だけでなく、植民地経済という経済的支配の構造をも、人々の日常生活のレベルからの逆回転によって克服していくとの意味が込められていた。


経済的支配の克服

 イギリスによるインド経済の支配体制は、綿花に代表される一次産品の生産に特化させ、その一方でそれらを原料とする本国の綿工業などの工業製品の市場とするという典型的な植民地経済の構造を克服するために、ガンディーは植民地農業の象徴である大農場経営に対抗して小規模農民を守る運動を展開したり、イギリス製品のボイコットなどインドの人々が農村を単位として自立できるような経済構造への転換を進めていった。 非暴力不服従  こうしたガンディーの運動に対してイギリスは様々な弾圧政策によって押さえ込もうとしたが南アフリカでの人種差別反対運動の経験から学んだ非暴力不服従の原則をガンディーは守りぬき、人々の意識を高めていった。こうしてインド全土に広がった独立運動にイギリスは譲歩せざるを得ず、インドの独立が実現した。


参考文献 

・自由国民社 土屋彰久著 教科書が教えられない政治学

・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

・新潮社 中島岳志『インドの時代―豊かさと苦悩の幕開け』2006


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