大久保利通
出典: Jinkawiki
幕末の動き
幕末から明治初期に活躍した政治家であり、木戸孝允・西郷隆盛とあわせて、「明治維新の三傑」と呼ばれている。
江戸時代末期の若年は、薩摩藩尊王攘夷グループのリーダーとして、1859(安政6)年、大老井伊直弼襲撃を計画したが、未遂に終わる。しかしこれを機に、薩摩藩主の島津久光の側近に抜擢され、公武合体論に転向する。1862年、島津久光の公武合体・幕政改革運動に参加し、一橋慶喜を将軍後見職につけ、松平慶永を政治総裁職につける。
1864年、幕府と薩摩の関係が悪くなると、西郷隆盛と組んで反幕運動を展開し、幕府を追い詰める。さらに1868年、岩倉具視と連携をして、王政復古を実施、明治政府を成立させる。