文明開化2

出典: Jinkawiki

2009年1月29日 (木) 20:22 の版; 最新版を表示
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 文化というものは国や地域、民族などそれぞれ独自のものであって、「進んでいる」とか「遅れている」とかいえるものではない。しかし、明治維新は「日本の文化は遅れている」と考え、欧米の文化を次々と取り入れた。これを文明開化という。

 暦は太陰暦から太陽暦に変わり、1日が24時間、1週間は7日となり、日曜を祝日とすることが決められた。食生活では肉食が一般化して牛鍋(今のすきやき)が生まれ、洋服などの新しいファッションも急速に普及した。しかし、なぜか足元には文明開化が伝わりにくかったようで、靴はなかなか普及せず、草履や下駄どころか裸足で歩いていた人も少なくなかった。  気合が入った政府に対し、庶民は純粋に新しい文化を楽しんでいた。髷を切れば「文明」、傘をさしても「文明」、肉を食べても「文明」、と、何でも「文明」にしてしまう風潮もあったようだ。   欧米で、さかんだった「権利」や「自由」といった考え方は、福沢諭吉や中江兆民らによって紹介された。福沢諭吉の『学問のすすめ』は、ベストセラーとなり、人々に大きな影響を与えた。新聞や雑誌が次々に発行され、西洋文学を翻訳した本も出版された。福沢諭吉が創設した慶応義塾をはじめ、私立学校も設立されるようになった。  ものめずらしさにより、西洋文化は急速に浸透した。ただ、新しいものをもてはやすあまり、伝統的なものを軽視したり、否定する風潮があらわれた。  特に影響が大きかったのは寺院であった。それまでの仏教では、神も仏ももとは同じとする神仏習合が行われていた。しかし、新政府が神道を国教として仏教を廃止するという政策をとったため、廃仏毀釈運動が盛り上がった。お寺が壊されたり、価値のある仏像や美術品が安く売られてしまうことも多かったようだ。


 参考文献:「らくらく入門塾 日本史講義」 小和田哲男 ナツメ社 ・ 「まるわかり日本史」 須藤公博著 永岡書店 


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