最澄
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2009年1月29日 (木) 23:49 の版; 最新版を表示
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最澄とは
767~822年、近江(滋賀県)生まれ。19歳で比叡山に入り、学問と修行に励む。804(延暦23)年、空海とともに唐に渡り各地に学ぶ。天台の奥義と密教・禅を学び翌年帰国。法華経の絶対平等思想を中核に、禅・密を総合して日本天台教学を確立。天台宗を広めた。伝教大師の諡号(しごう)つまり贈り名を866年清和天皇より賜わる。
最澄は、比叡山における教育の根本方針を「山家山学」と呼んだ。「山家山学」とは、世俗をはなれて山に住み、山で学問と修行にはげむという意味である。
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思想
最澄は、大乗仏教の教団には大乗の思想にふさわしい制度が必要であると考え、インド・中国にない大乗菩薩戒という新しい戒律を定めた。最長は「国宝」とは銀財宝ではなく「道心ある人」、つまり求道(ぐどう)の心をもって民衆をみちびく菩薩(修行者)であるといい、山岳修行によって精神をきたえ、慈悲の心を育てることを教団の教育方針とした。
また、最澄は「法華経」と「涅槃経(ねはんきょう)」の教えに基づいて、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」と説いて、すべての人間はその生まれや身分にかかわりなくすべて無差別平等であるという思想を広めた。
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関連
・「顕戒論」
820年、最澄が大乗戒壇(大乗仏教独自の戒を授かる壇)設立に反対する南都諸宗に論駁(ろんばく)(相手の論や説の誤りを論じて攻撃)した著述。
・「山家学生式(さんがくしょうしき)」
最澄の著。比叡山で学生を養成するための方式。818~819年に3つの式を定めた。学生を大乗戒で教育し、さらに大乗戒壇設立を目指した。
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参考文献
「日本史B用語集」 山川出版社
「詳説日本史」 山川出版社
「倫理」 東京学習出版社