東京タワー

出典: Jinkawiki

2009年1月30日 (金) 12:22 の版; 最新版を表示
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先日テレビで「東京タワー50周年」という特集がやっていた。「ALWAYS3丁目の夕日」という昭和を舞台として展開していく映画のシンボルとして東京タワーは大きな存在感を放っていた。現在、高層ビルが立ち並ぶ東京の中で50年もの歴史を刻みながら変わらず存在感を持っている東京タワーに今回焦点を当ててみていきたいと思う

〈概要〉

1958年12月にオープン。観光名所としては仮の姿で、本来は総合電波塔として仕事をしている。関東エリアの各種放送電波の他に、緊急停止信号を発射するJR東日本の防護無線用アンテナが設置されている。電波塔として以外には、東京都公害局の風速計、温度計、硫黄酸化物測定器等が取り付けられている。イメージキャラクターは「ノッポン」2008年12月23日に50周年を迎え、新たに「ベスト・シティ・ランドマーク」をスローガンに掲げ、「世界基準の観光施設」、「観光や商業において集客力のある施設」、「電波塔としての事業継続」、「東京タワーブランドビジネスの確立」の4つを活動指針とした。

〈名称〉

「東京タワー」の名称は、完成直前の1958年(昭和33年)に開かれた名称の審査会で決まった。事前に名称を公募をしており、最終的に 86,260通が寄せられた。一番多かった名称は「昭和塔」で、続いて「日本塔」「平和塔」と多かった。他にアメリカとソ連が人工衛星の打ち上げ合戦をしていた事から「宇宙塔」、皇太子明仁親王(今上天皇)の成婚が近いという事で「プリンス塔」という名称もあった。しかし、名称の査会に参加していた徳川夢声が「東京タワー」という名称が相応しいという事で「東京タワー」に決まった。なお、「東京タワー」は223通(全体の0.26%)であった 〈電波塔としての東京タワー〉 このタワーの正式名称は日本電波塔である。放送事業の将来性に着目した大阪の新聞王、前田久吉(のちの産経新聞社、関西テレビ、ラジオ大阪社長によって相次いで開局する各放送局の電波塔を1本化する構想で建設された総合電波塔である。自立式鉄塔としては2007年現在も世界最高である。前田は「建設するからには世界一高い塔でなければ意味がない。科学技術が進展した今なら必ずできる」と強く主張したという。このタワーの建設に先立って日本電波塔株式会社が設立され、建築構造学者の内藤多仲と日健設計株式会社が共同で設計した。 発信される電波は関東エリアの半径100㎞ 圏をカバーする。この塔の完成に先行して開局していたNHK総合テレビジョンと日本テレビ放送網、及び東京放送はそれぞれ自社の敷地に170mほどの電波塔をたててテレビ放送を行っていた。そのために、当初は1958年から1959年にかけて新たに会食したフジテレビジョンと日本教育テレビ及びNHK教育テレビジョンが利用していた。のちにTBSも合流した。最終的にら全局がそろったのは1980年である。2011年7月24日までに地上アナログテレビは放送を中止するがそれに絡み今現在新東京タワーの建設の構想がたてられている。 現在の東京タワーについて私たちはイルミネーションや展望台といった印象が強いため、観光目的というようにとらえがちであるが、実は日本1、世界1の自立電波塔であり、私たちの生活に欠かせないテレビの命ともいえる電波を東京タワーがつくりだしていたことを理解してほしいと思う。

参考文献

尾島俊雄 『千メートルビルを建てる-超々高層のハードとソフト』 講談社〈講談社選書メチエ〉 著者/訳者名 泉麻人/著 開高健/著 金井美恵子/著 川本三郎/著 桐生五郎/著 佐藤江梨子/著 沢木耕太郎/著 曽野綾子/著 綱島理友/著 富田均/著 中沢新一/著 原田宗典/著 姫野カオルコ/著 町田忍/著 松山巌/著 森達也/著 『東京タワー物語」 日本出版社 (ISBN:978-4-89048-969-5) 東京タワーホームページhttp://www.tokyotower.co.jp/333/index.html


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