アウシュビッツ
出典: Jinkawiki
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誰もが耳にしたことがある、アウシュビッツ収容所。現実にはどのような悲劇が繰り広げられていたのだろうか。昔から興味はあったが調べる機会がなかったのでこの機会に調べてみることにした。
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概要
アウシュビッツは、第2次世界大戦時にナチス・ドイツが占領地ポーランドに建設した最大規模の強制収容所である。150万人の尊い命が奪われた同収容所跡は広島原爆ドームと同様に「人類が2度と繰り返してはいけない20世紀の負の遺産」として、ユネスコ世界遺産に登録され、ポーランド政府が国立博物館として保存している。またアウシュビッツは立ち巣の収容所の中で、絶滅収容所と強制収容所の機能を併せ持つ最大規模のものであった。
アウシュビッツの実態
1939年にポーランドを占領したナチス・ドイツが1940年6月、占領地の政治犯、同性愛者、ジプシーなどを収容するために開設したのが「アウシュビッツ」の始まりだが、41年末には新設のビルケナウ収容所を隣接し、最大規模の収容所となった。その後、その数は20箇所以上にもなった。6戦局の拡大に伴って民族浄化の名のもと捕らえられた人々がいた。ドイツに降伏後ビシー政府が政権を握ったフランスから追放されたユダヤ人がいた。彼らをはじめとしてポーランド人やロシア人がここに集められた。 老人や女性・子供はすぐにガス室へ直行させられた。ガス室には、猛毒のチクロンBが出て、人々はガス室でもがき苦しみ15~20分で死んでいった。そのあとはナチスに協力的なゲルマン民族以外の協力者が、金歯や宝石をむしり取っていった。最終的に金だけで3000万トンになった。ユダヤ人の中でナチスの協力者を選び、他の人々よりも楽な生活を与えて差別化を図り管理をさせた。その他には、女性の髪の毛を「布」の原料にするために丸坊主させられた。解放された1945年1月までに収容所内で数々のおぞましい人体実験が行われた。ユダヤ人約110万人、ポーランド人約14万人に加えて、多くの障害者や同性愛者などが、ガス室で殺された。ただユダヤ人だからという理由で毎日毎日おびえながら暮らす彼らの心境を想像するだけでも心が痛くなるものだ。こんなことがたった1世紀もたたない過去に行われていたことはすごく驚きである。
アウシュビッツの現在
多くの要人が公式・非公式にかかわらずこの地を訪れているそうだ。その中でもベネディクト16世は「この地で未曽有の大量殺戮があったことはキリスト教徒としてドイツ人の教皇として耐えがたいことだ。」と述べたという。現在、年間を通じてイスラエル人の修学旅行のルートとなっており、日本人の訪問者も年々ふえている。また、日本国内にはポーランド国立オシフィエンチム博物館から展示物を譲り受けた「アウシュビッツ平和博物館が」が福島県白河市にある。アウシュビッツの悲劇を風化させないためにも人生に1度はこの地をおとずれ考えなければならないように感じた。
参考文献
アウシュビッツ(アウシュビッツの嘘)ティル・バスティアン著 白水社
アウシュビッツは終わらない P・レーヴィ著 朝日新聞出版
アウシュビッツビルケナウhttp://homepage2.nifty.com/skynewton/europe/oswiecim.html