あんぱん
出典: Jinkawiki
←前の版 | 次の版→
あんパンとは、菓子パンの一種である。
歴史
あんパンの歴史は今から120年ほど前、現在も銀座に店舗をかまえる木村屋で生まれた。木村屋の前身は、元武士の木村安兵衛が明治2(1869)年、芝日蔭町(現在の東京の新橋駅の付近)に創業した「文英堂」である。その前年、慶応4(1868)年には、官軍が徳川幕府から江戸城を無血接収している。いわゆる明治維新によって失業した、いわばリストラ武士たちの手に職をつけようと設けられた「東京府授産所」でパン作りに出逢った。50歳の転身は、大きな賭けであった。息子の英三郎もパン屋の仕事を手伝った。はじめは、発酵にホップの煮汁を用いて食事用のパンを作っていたが、やわらかさに欠け、酸っぱいパンが出来上がることが多かったらしい。後に店名を「木村屋」に改め、明治7(1874)年に銀座の煉瓦街に店を移したが、当時はパン自体珍しく、人々にはなかなか受け入れられなかったようで、売れ行きも今一つだった。そこで、安兵衛、英三郎親子がたどりついたのが、酒種だった。昔から饅頭には酒種が使われていたから、蒸す代わりに焼いた、という単純な発想の転換だったが、ほのかに日本酒の香りが立ち上り、冷えても柔らかく、糖分を多く入れても発酵力が強い、といった利点があった。このパンの中に饅頭のあんを入れた。当時は「茶の子」といって大福餅や粟餅、酒饅頭などが軽い食事として好まれていた。どれもあんを包んだものである。それで、酒種パンあんを包んで焼くことにした。「西洋饅頭」とも呼ばれたあんパンは、大評判で迎えられた。ここまでたどり着くのにかかった歳月は5年、パンという西洋と、小倉あんという東洋との出逢いから生まれたあんパンは、「牛鍋」などとともに文明開化のシンボルになった。
明治天皇も食べたあんパン
明治8(1875)年、木村安兵衛の親友である山岡鉄舟から、「水戸の下屋敷のお花見で陛下にあんパンを献上してもらいたい」という申し出があった。 そこで安兵衛と英三郎が「何かもっと日本らしさがあるあんパンを…」と知恵を絞って考えついたのが桜の塩漬けを添えること。 そして奈良の吉野山から取り寄せた八重桜の塩漬けを入れてみたのが桜あんパン。 あんの甘味と八重桜の塩漬けという思いもかけない絶妙な取り合わせを生んだ。そして、4月4日(後にこの日はあんパンの日となる)にお花見を兼ね、水戸家の下屋敷(現在の墨田公園)に御臨幸された折、お菓子として桜あんパンが出された。明治天皇ことのほかお気に召され、また皇后陛下も大いにお気に召し、両陛下から「引き続き納めるように」とお言葉を賜ったのであった。こうして宮中御用商となったことがパン食を普及するきっかけとなり、あんパンは一段と庶民に広まったという。
現在もあんパンは多くの人に親しまれている。それはあんパンをモチーフにしたキャラクターであるアンパンマンからも見て取れるだろう。
餡の種類
小豆系
つぶあん
こしあん
白豆系
白あん
鶯豆系
鶯餡
その他の餡
イモあん
栗あん
桜餡
参考文献
木村屋総本店ホームページhttp://www.kimuraya-sohonten.co.jp/ 明治神宮ホームページhttp://www.meijijingu.or.jp/ http://mo156.soci.ous.ac.jp/student/hp/1997/bread/sub01.html http://www.seiwabs.co.jp/narude/narude0304/hajime0304an.htm http://www.fsic.co.jp/food/pan/default.htm