ジャン・シベリウス

出典: Jinkawiki

2009年1月30日 (金) 18:52 の版; 最新版を表示
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ジャン・シベリウス Jean Sibelius,1865年12月8日~1957年9月20日  フィンランドの作曲家である。本名ヨハン・ユリウス・クリスチャン(Johan Julius Christian)

生涯

1865年12月8日ヘルシンキのハメーンリンナに生まれる。父母ともスウェーデン系の医者の家庭に生まれ、2歳で父を失い、一家は母の実家に移った。ここで5歳でピアノ、14歳でバイオリンを始めるが、幼児期から作曲の才能を示し、独学でいくつかの室内楽曲を書く。10歳の時の作曲、バイオリンとチェロのための《水滴》は現存している。1885年20歳でヘルシンキ大学法学部に入学したが、翌年法律の勉強を捨て退学、ヘルシンキ音楽院で作曲とバイオリンの学習に専念した。89年音楽院を卒業、同年ベルリンでA・ベッカーに、翌年はウィーンでゴルトマルク・KとR・フックスに作曲を学び、またオーケストラと管弦楽曲に関する知識を吸収した。91年に帰国し母校で作曲とバイオリンを教えたが、翌92年に発表したデビュー作、フィンランドの叙事詩《カレワラ》に基づく《クレルボ交響曲Kullervo》が爆発的な人気を呼んだ。実際、この一作によってフィンランド音楽界で彼の地位は確定し、早くも97年には国家の終身年金を受けることになった。1901年には音楽院の職を辞し、04年以降ヘルシンキ郊外に住居をかまえ、生涯の地とした。このころの作品に管弦楽曲《レミンカイネン組曲》(1893-95.四つの伝説曲でその第二曲が《トゥオネラの白鳥》)、交響詩《フィンランディア》(1899)、《交響曲第2番》(1901)があるが、結局これらの作品が彼の代表作となった。彼の創作の根底をなしたのは、精神的にも題材的にも徹底した祖国愛であった。また、それが熱狂的にフィンランド国民に受け入れられる背景をなしたのは、ロシアによるフィンランド支配であった。《フィンランディア》は、愛国的な感情を呼び覚ますことで、支配を受けていたロシア当局の弾圧を受け、別名で演奏されたこともある。国内での名声の確立とともに、1900年パリ万国博への自作とヘルシンキ交響楽団を率いての出演を皮切りとして、ヨーロッパの各都市へ、また14年にはアメリカでデビューし、彼の名声は国際的に確立されていった。しかし、彼が作曲家として生産的であった時期は意外に短く、20年代までであった。29年にはバイオリンとピアノのための《三つの小品》、ピアノ曲《五つの小品》が作曲されているが、それ以降、創作意欲が衰え、ほとんど作品はない。その理由は、第一次世界大戦後の作曲界を支配したストラビンスキーの新古典主義やシェーンベルクの十二音主義から、国際的名声を持つ彼の19世紀的な作風があまりにもかけ離れたものであることを知っていたためであると考えられている。30年の空白ののち、57年9月20日ヤンウェンバーで91歳の生涯を閉じた。しかし、生涯彼はフィンランドの国民的英雄であり続けた。フィンランド国外でも、彼の作品は今日なお多数の支持者を持っている。代表作は世界各地のオーケストラのたいせつなレパートリーとして定着している。


参考文献:世界大百科事典 平凡社      

     Yahoo-!百科事典 http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9/

     Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9  


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