ウィーンのシュタイナー教育
出典: Jinkawiki
シュタイナー教育はウィーンでも注目されている教育である。芸術の都であるオーストリアのウィーンでは、美術・音楽を中心とした自由な教育が展開されている。この教育では、絵や音楽、そしてよくからだを動かして学び、点数のつくテストを実施しない。
シュタイナー学校の成立と発展
ウィーン第23区のマウァーの地にあるシュタイナー学校には、1学年から12学年まで約420名の子どもが学ぶ。このマウァーのシュタイナー学校が、オーストリアで最初につくられたシュタイナー学校である。この学校は、オーストリアにおけるシュタイナー教育の広がりの拠点となった。 この学校が設立されて以来、リンツ、クラーゲンフルト、グラーツ、ザルツブルク、インスブルックのオーストリア諸都市にシュタイナー学校が次々と創設された。マウァーのシュタイナー学校の近くには、シュタイナー学校教員養成コースとシュタイナー芸術コースの二つの課程を持つ「ゲーテ高等学院」という名の高等教育機関がある。マウァーのシュタイナー学校は、明るい希望に満ちた書状今日を生み出す原動力になった学校であり、今でもシュタイナー教育の発展と拡大の中心的な働きを担っている。 世界で最初にシュタイナー学校が設立されたのは、1919年である。その年、自由ヴァルドルフ学校の名でドイツのシュツットガルトに創設された。ウィーンでは、それより8年遅れて1927年に創設される。この年にシュタイナー幼稚園も設立される。しかし、カリキュラムによって法律上「学校」と認められず、補助金などの様々な問題にぶち当たったため、そう簡単にシュタイナー学校を創設することができなかった。
戦後のシュタイナー学校の再建
戦後のウィーンの混乱の中で、シュタイナー学校を再建することは容易なことではなかった。その原因は主に二つである。一つは、戦前のヒトラー政権下での強制的閉鎖によって教師たちのほとんどが国外に移住してしまい、ウィーンにはいなくなり、戦後長い間、教師を確保できなかったことである。もう一つは、自分の子どもにシュタイナー教育を受けさせたいという願いを強く持った親がなかなか多く現れなかったことである。 再建への第一歩は、「シュタイナー学校協会」の再建で始まる。戦前の中心的な人物であった医師のヴァンチューラ博士がこれを再建した。1950年代に入ってキティ・ヴェンケバッハという婦人が現れ、シュタイナー学校再建の発展に大きな役割を果たした。ヴェンケバッハは、シュタイナー学校協会のメンバーになって以来、学校再建の道を探り活発に活動した。そこで設立されたものが「シュタイナー幼稚園」である。幼稚園の設立から学校へと結びつけることが模索されたのである。