スウェーデンの歴史

出典: Jinkawiki

2009年8月6日 (木) 00:20 の版; 最新版を表示
←前の版 | 次の版→

スウェーデンに人間が定住し始めたのは、氷河が後退してからまもなく、紀元前1万~前8000年ごろと推定されている。証拠として、特に南部には多くのドルメン、石室墓などが残されている。その後、前2000年ごろインド・ヨーロッパ語族が移住し、定着した。ローマ時代には大陸との交易が盛んに行われるようになり、おもに琥珀や毛皮などが輸出された。5~6世紀になると多くの部族国家が形成され始め、そのなかでウプランド地方のスベア人はとくに繁栄し、海上貿易にも進出した。この時期を「ベンデル時代」とよぶ。9~10世紀までに、スベア人を中心に多くの部族国家が連合し、スウェーデンの原型が形成された。 9世紀からバイキングの活動が始まる。スウェーデン人はおもにビザンツ、アラブ世界と通商関係を結んだ。バイキングのうち、ある者は通商経路に土着し、やがてスラブ人と同化した。またある者はデーン人らとともに西方へも進出した。11世紀以後、スラブ人の勃興およびヨーロッパの貿易情勢の変化などにより、しだいにこのような活動は衰退した。1000年前後からキリスト教が徐々に浸透し始め、12世紀にはほぼ全国に定着した。また12~13世紀にはキリスト教布教を名目としたフィンランド侵略が進められた。13世紀前半までは王位をめぐる内乱が相次いだが、この頃に地方ごとの法典の編纂が始められた。1250年ビルイェル・ヤールは息子のバルデマールを王位につけ、大領主層の勢力を削り、王権の確立に努めた。その後14世紀前半にかけて、マグヌス1世、2世の治下に国家機構がかなり整備され、また1350年全国的な法典が制定された。この間、ハンザ同盟をはじめとするドイツ人勢力が北欧に著しく進出し始めた。 14世紀中ごろから貴族と国王との抗争が生じはじめ、メクレンブルク公アルブレクトが国王に推戴された。しかしアルブレクトもドイツ人官僚を重用したため、まもなく貴族との抗争に陥った。デンマークおよびノルウェーの摂政マルグレーテ1世は、このような情勢を利用して1389年アルブレクトを破り、廃位させるとともに貴族の力を巧妙に抑え、97年に甥の子エーリクを名目上の王として北欧三国を合同させ、自らその支配権を握った。1434年エンゲルブレクトが、鉱夫、農民とともにエーリクの支配に対する反乱を起こし、乱は全国に広がった。35年1月、彼がアルボガに招集した全国的集会は、後の議会の原型といわれている。翌年彼が殺害されると、反乱の主導権を握ったカール・クヌートソンらの貴族はデンマーク側との妥協を進め、農民らの行動を抑圧するようになった。1471年以後、デンマークとの形式的合同の下でスウェーデン人の摂政が統治にあたるという体制が定着した。 16世紀初頭、摂政スチューレと大司教トロッレとの抗争に乗じ、デンマーク王クリスティアン2世は合同の強化を企て、1520年にいったんスウェーデンを制圧した。しかしグスタフ・バーサの指導する反デンマーク闘争が21年以後力を得て、23年合同は解体し、グスタフは王位についた。1540年ごろまでは不穏な国内情勢が続いたが、財政の安定とともに政情も沈静し、中央集権化はかなり達成された。グスタフの死後、後継者たちはバルト海東岸への進出を始め、ロシアおよびデンマークとたびたび戦を交え、ポーランドとは、1599年ポーランド王を兼ねる国王シギスムンドが旧教徒であるために廃位されてからは慢性的戦争状態に陥った。一方、16世紀初頭までに中央官制が整備され、議会も頻繁に開かれるようになり、国家機構として定着し、1634年憲法によってその権限を確立した。 1630年、グスタフ2世は三十年戦争に介入し、自身は戦死したが、ウェストファリア条約により北ドイツに領土を得ることとなった。1700年にロシア、デンマーク、ポーランドなどとの間に大北方戦争が勃発した。最初はスウェーデン側が優勢であったが、ロシア遠征の失敗後劣勢になり、21年講和が結ばれ、バルト海東・南岸の領土は大幅に失われた。戦後は議会を拠点とする貴族勢力が権力を握った。国王グスタフ3世は1772年クーデターによって憲法を改正させ、啓蒙専制的な統治を行った。92年のグスタフ3世の暗殺ののち、その子グスタフ4世はフランス革命の影響を恐れ、専制政治を強化した。 1805年スウェーデンはナポレオン戦争に介入するが、敗北を重ねて北ドイツの領土を失い、08年フィンランドをもロシアに占領された。09年3月の革命によりグスタフ4世は追放され、議会は新憲法を制定し、講和を成立させた。10年、新国王カール・ヨハンは12年反ナポレオン陣営に加わり、14年ノルウェーを同君連合の形で併合した。40年内閣制度が改革され、62年地方自治制、66年二院制議会が成立した。 19世紀後半には鉱工業が非常に発達し、20世紀初頭に普通選挙制、政党内閣制が成立した。また1905年ノルウェーの独立も平和裏に達成された。第一次、第二次の両世界大戦の際は、厳しい情勢のなかで中立が維持された。両大戦間の1932年、社会民主党内閣が成立し、世界恐慌の影響を克服するとともに多様な福祉政策を実現し、一時「農民連合」に権力を奪われたが、他の政党と連立を組みながらも76年まで政権を維持、以後、保守党と交互に政権を担当している。政治面では、中立を守り通してきたが、共産主義の破綻は、80年代後半の冷戦の終結とヨーロッパの政治的分割の終結を導きだし、いやおうなく国際政治の荒波に洗われることとなった。95年にはEUに加盟し、その一員として各国と連携を保って政策を遂行している。


参考文献:『北欧史』(山川出版社)


参考資料:http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3/%E6%AD%B4%E5%8F%B2/


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成